陰山岩画

 内モンゴル自治区の中西部を横たわっている陰山山脈は周辺の広い草原や凌ぎやすい気候に恵まれることから、昔から地元民族にとってかけがえのない牧場でした。ここは先住民の時代から歴代にわたる数多くの民族が生息したりした所でした。彼らはそれぞれ自分の努力により引き続き輝かしい文化や文明を築き上げました。近年来、陰山山脈の西の部分に当たる狼山地区では我が国の北方系牧畜民の文化を物語る岩画が見つかることが出来ました。

 

 「岩画」というのは岩肌に刻んだり彫刻したりした絵や文字などのことを指します。岩画はふつう素朴かつ簡素なタッチで古代人の文化や生活を表現するものであり、今まで国内外の学者たちの高い関心を集めています。この陰山岩画について最も早く見つけた人は紀元5世紀ごろに活躍した北魏の地理学者である麗道元でした。そしてである彼の著作「水経柱」の中に詳しく記しました。内モンゴル自治区の考古学者が「水経柱」に基づき、1976年から本格的に岩画を見つめることにしました。長さ70キロ幅30~40キロなどに及ぶ狼山地区で合わせて1000枚近くの岩画を見つけることが出来ました。これらの岩画は数が多くて内容も豊富です。上古からのものが多いと認められ、人気を博しています。岩画は陰山地区の古代の民族信仰や美学、世界観などを反映するばかりではなく、彼らの早期における遊牧生活も窺わせることができます。2006年5月25日、陰山岩画は新石器から青銅器時代にかけての石刻として国務院に第六回の全国重要文化財に指定されました。

 

 陰山岩画は芸術の特色として素朴的であり、生き生きとするうえ、強い生活の息吹きを漂わせています。岩画の題材が写実の手法を多く駆使し、人類の幼年期やその後の各歴史の段階における生活もリアルに表現しています。大自然や字生活から生まれた題材が作者の生きた自然環境を如実に再現させています。構図やテクニカル、表現力などにおいても作者の鋭い観察力や素朴な美学意識、驚くほどの芸術才能を表しています。例えば作者が一つのテーマを浮き彫りにさせようとしてよく比類や誇張の手法を引用していました。例えば人間と動物、動物同士の戦いの場面においても構図と比例で勝つ方のイメージを浮かぶ上がらせていたので、強い芸術効果が生まれたのです。

 

 陰山岩画が大体切り込み手法と磨き手法とを使って出来たものです。このほかに顔料で描いた岩画もあり、ラマ教と関係のある近代の作品とされます。岩画の内容から見れば大体四つの時代に分かれています。

 

 第一期は旧石器時代の晩期から青銅器時代の中期にかけての原始部落に所属する岩画です。この時期の岩画が最も多いと思われます。

 

 第二期は春秋時代から漢代にかけての匈奴人の描いた岩画です。

 

 第三期は中世期に属する岩画です。この時期のものに、南北朝時代から唐代に当たる突厥人の岩画と五代から宋代にかけての回鶻、党項族の岩画が含まれています。

 

 第四期は元代以後のモンゴル族の作品とされ、近代岩画とも呼ばれます。

 

 岩画の内容を構成する分類として動物画像、放牧、狩猟、車両図、戦場図、舞踊図、性器などがあります。このほかに各種の人面像や神の像、宇宙天体、動物の足跡なども見出すことができます。