労働者シリーズ(二)桂林の町角にある自転車修理屋さん

2011年12月31日桂林の生活

この間、テレビは「調査によりますと、中国の自動車の保有量は初めてオートバイの保有量をオーバしました。」と言うニュースを放送しました。それを聞いて、別に誇りも喜びの気持ちには成れませんでした。近年、中国は車の数がハイスピードで伸びていて、桂林も車の数が爆発的に増えました。友たちはほとんど車を持っていて、免許もない車もない私は時代遅れの人間になってしまいました。しかし、中小都市としての桂林はそんなにたくさんの車が必要なのか疑問ですね。車を持っていながら、朝、道が混むので子供を電単車(充電式バイク)で学校へ送る可笑しいこともあるし、車で「微笑堂」(ニコニコ堂デパート)へ買い物いいった時、駐車場が満員なので、遠い所に車を止まって、その間を歩いて往復することもあります。私はやはり二十分で中心部まで行ける自転車のほうが一番便利だと思います。車は北京と上海のような大都会には良いかもしれませんが、のんびりした観光都市の桂林には自転車が似合うと思います。
昔、出勤と退勤の時になると中心部の「十字街」はいつも自転車がいっぱいになり、ちゃりんとした様々な自転車のベルの音が一つのハーモニーになりました。私はあのような桂林が懐かしいです。今桂林の道路を走っているのはほとんど自動車と電単車(充電式バイク)で、自転車に乗る人の姿は寂しいぐらい少なくなりました。自転車はこんな状況になってしまい、嘗て日常生活に欠けてはならない自転車の修理屋さんはどうなっているかと言う質問を抱えて、「三里店」の周辺を歩いて見回りました。調査した揚句、店舗が一か所、屋台が三か所ぐらい残っている状況です。自転車がパンクしてどうすればいいかと困った時、よく助けてくれたあの自転車の修理屋さんは今こんな始末になってしまって、寂しく思います。じてんしゃの屋台主はほとんど五十代か六十代の人ばかりです。彼らは田舎から来た「農民工」ではなく、国営企業で二三十年間ずっと同じ仕事をし続け、20年ぐらい前からリストラされて、「下崗」(失業)しました。中途半端の年で失業されて、再就職はなかなか難しく、困ったところ、政府の優遇の政策でお手並みがそんなに要らない自転車の修理屋さんが一軒経営できました。「おかげで子供をよく育て、助かりました。今は年も取ったし、腰などの体の具合も悪くなってしまいました。自転車に乗る人が少なく、商売はますます駄目になりました。幸い、子供が成人になったし、年金もあるし、今は趣味で自転車を修理しています。」となどの話を聞かせてもらいました。今物価が上がる一方で、自転車の修理代もだいぶ上がりました。屋台より店舗のほうは腕前がよく値段もちょっと高いです。空気入れは一回0.5元で、タイヤの修理は穴一つ3元、バイクは5元です。
日本にいたとき、自転車で学校に通う中学生と高校生がよくいましたが、桂林ではほとんどバスで学校に通っています。私立学校の学生はよく学校の寮に宿泊します。週末になると、学校の門の前はいつも学生たちを迎えに来る高級車で渋滞する状態になるので、交通警察がわざわざそれを整理に来ます。桂林も色々変わりましたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 思えば、工場からリストラされ、自転車を修理してから、今年まではもう二十年...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               

            ここは周囲の年配者の将棋と囲碁のクラブになっています。私はここで、囲碁をうったこと(下囲棋)があります。


 

 

 

 



 

 

 

 

        建築の工事現場を見張る同時に 自転車の屋台をします。


 

 

 

 

 

 


 

 

 

      自転車のほか、傘などの修理 もするようです。




 




 

 


 



 




この人とは十数年前からの知り合いです。当時は街角の屋台で自転車を修理したのですが、現在はよく発展して、ちゃんとして店を経営しています。でも、お客さんはバイクと電気自転車に乗る人が多いです。おじさん、頑張って、応援するから。

 

 


 

 

 

 

 






      設備が進んでいるし、経営の内容も豊富だし、競争力が強いらしいです。















 

 

 

お客さんがいない時、彼はいつも無我夢中で本を読んでいて、炎天下の夏にも、冷え込みの厳しい冬にも...たぶん、自転車の修理は彼たちにとって、生活のためでなく、趣味でするかもしれません。人々に便利を提供する彼たちにお礼を言いたいと思います。

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コメント(4)

作者:( 「ふれあい中国」)

お客様からのコメント

1匿名2012/01/03 21:31返信

ネオンきらめく街の片隅でひっそり佇んでいる、深夜の胃袋と心を満たす癒し処『深夜食堂』と同じ、もっとも普通の百姓のものがたりは感動的ですね!

  • 2012/01/05 19:12

    同じ体験があったから、同じ感動があるわけです。

2桂林浪漫2011/12/31 22:55返信

桂林の自転車、原動機付き自転車事情、よーく理解できました。時がたつにつれて庶民の足も変わっていくものですね。我々、外国人が20年前、桂林、南寧に来たころは街中にはいつも自転車があふれ、朝夕ともなると何キロと連なった銀輪部隊が解放橋のたもととか、桂林駅前交差点を通過していったものです。その数や1000台は超える行列をなして、あとからあとから途切れることのない行列でした。道路の横断はとてもできません。20分、30分立ち止まって、流れの切れ目を見て素早く道路を渡る、こんな具合の桂林道路事情でした。写真にあるような簡易修理屋たくさん見かけました。その当時はパンクの修理も多くて、一家を養えるほどの稼ぎもあったのでしょう。その人たちも、今は60歳以上になり、退職年金で暮らしたり、あるいは小金を貯め、バイク販売、修理の店をもつようになったり、それぞれですね。改革開放の掛け声とともに、その流れに乗りきれず、ひたすら道路端に屈みこみつつ、客が来るかわからないのを覚悟して1日を終える。明日もまた、同じ場所でそれが続く、嗚呼、諦念という外はありませんね。彼らが客を待つ間に読む本はどんな本だろうか。巴金、張煒、莫言、張継、劉慶邦などであつたら話しかけてみたくもありますね。一方、うまく個体企業を営んだバイク屋さんは、発動機や蓄電池バイクの販売・修理で大忙し、本など読む暇もありそうありませんね。しかし、自転車パンク修理屋さんにも、一分の優位性があるのかもしれない。読書に専念する時間が自由にあるのだから。

  • riku2012/01/05 19:05

    二十年も前昔から、先生はよく桂林と南寧へいらっしゃいましたね。外にどんな所へいらっしゃったか知りたいですね。恐れ入りますが、もし差支えがなければ、いつか一緒にコーヒーでも飲みながら、中国の各地を回ったご見聞を聞かせていただければありがたいですが、よろしいでしょうか。

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