桂林の美しい花橋の下で艾を採りました。
2012年04月19日桂林の生活
朝早いですから、野草にかかっている露はまだ消えていませんでした。景色の美しい「花橋」の下で、気心の知れた友達と一緒に朝日を浴びて、野草の特有の匂いの混ぜた空気を吸いがら緑色の艾を採ることは人生の楽しみではないかと思いました。
真「艾」と偽「艾」との一つの区別は艾葉の裏は白いか否かのことです。
たぶんこれは陶淵明の「飢食首陽薇、渇飲易水流。」の中の「薇」かもしれません。あるいは明代の顧炎武の「復庵記」の中の「采薇而食者。」の「薇」かもしれません。
勤勉なる熊蜂が好きです。
この場面を見て、思わず陶淵明の「采菊東籬下、悠然見南山」の詩を思い出されました。
採ったよもぎを水に24時間浸かって、苦みを取ります。それから沸かしたお湯でさっと茹でて、一時間をそのまま放っておきます。その後水分を絞り出して、千切りします。
ヨモギともち米の粉を一緒に混ぜます。
ゴマやピーナツや小豆などで作った餡を入れます。
蒸籠に入れて蒸します。
出来上がりました。
韓さんからもらった資源県の山から採った蕨と小笋です。細かく切って卵と炒めて最高の味がする料理ができます。
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コメント(4)
作者:( 「ふれあい中国」)
次の文:我が家のバラが咲きました。
艾餅を懐かしく思い出します。子供の頃、みんなで土手に艾を摘みに行って、草餅を母親に作ってもらい、端午の節句を祝いました。日本では、もう田舎でもこんな習慣は見られないのかもしれません。何でもお金を出して手に入れる時代になってしまったんですね。合理的かもしれませんが、それと引き換えに大切なものも失ってしまったように感じます。中国の田舎歩きが好きなのは、そんな懐かしい出会いがあるからです。桂林は国際観光都市なのに、一歩脇道に入ると懐かしさに出会える街ですね。
先生もこんな貴重な体験がありますね。昔のことが懐かしいですね。今の若い人は昔の素晴らしい他県はできませんね。いつか桂林にいらっしゃって、田舎までハインキングしましょう。
和名では、蓬(艾)よもぎ。怪我したとき手のひらの上で揉んで、青汁を傷口につけて消毒していましたよ。また、よもぎを餅の中に入れたのを、「草餅」といいます。春の彼岸の頃、農家で作ってお供え物にしたり、家族で食べたりいたします。薇は、和名「わらび」です。春先、日当たりのいい里山の斜面にでますね。 陶淵明の「「飢食首陽薇、渇飲易水流」は、擬古九首の其の八にある部分ですね。『少時壮且厲、撫劒行遊、誰言行遊近、張掖至幽州、飢食首陽薇、渇飲易水流、不見相知人、惟見古時丘、路邊兩高墳、伯牙與莊周、此士難再得、吾行欲何求』。首陽の薇とは、伯夷・叔斉の隠れた首陽山のわらび、この山でわらびを食べて彼らは餓死する。また、易水流とは、荊軻が秦王を殺すべく出立した燕の国の南境にある易水の水。陶淵明がこの2つの故事を引いて歌うには、人生のある目的のために生命を燃焼させた人物への共感を含ませているのでしょう。陸さんが、韓さんとの友情を30年も保っておられることはうらやましい限りです。この陶淵明の詩の中にある、「、伯牙與莊周」とは、共に深く理解しあえる友人を持っている故事です。ですから、陸さんは、韓さんとの深い絆で結ばれた関係を踏まえた上で、「七星公園」の花橋の下にある「よもぎ」、「わらび」を摘むことがどのようなことかを表現したかったのでしょう。そう私には、思えてなりません。陸さんの学識に裏打ちされたさりげない文章にも深い意味があるのですね。まだまだ勉学が足りない日本の老書生、漢籍の部屋から逃げ出すわけにはいきません。
有留先生、こんばんは。薇は蕨ですか、知らなかったです。勉強になりました。蕨のことを中国語では蕨菜と言います。中国の薇はマメ科で、野豌豆ともいい、食べられます。昔は貧乏人しかそれを食べませんでした。伯夷・叔斉は商の人で、商を滅ぼした周の粟を食べることを恥ずかしく思って首陽山に隠れて、薇と言う野菜を食べて、とうとう餓死しました。孔子と孟子は死でも節気を守ったこの二人を聖賢の士と称えました。中国のことを何でもご存じの先生に感服しました。チャンスがあれば一緒によもぎを採って草餅(。「艾葉粑粑」を作って、食べましょう。