「姜太公釣魚台」の見物ー中国のシルクロード10日間の旅(三)

2012年08月07日中国観光ガイド

9時50分、「五丈原」の観光が終わって、「姜太公釣魚台」へ移動しました。10時半頃、「姜太公釣魚台」に着きました。「姜太公釣魚台」は宝鶏市の東に30キロ離れた天王鎮の「伐魚河」の畔にあります。
この「釣魚台」に巡って、姜太公と周文王の間の物語を中国の有名な古典小説「封神演義」の中でよく描きました。
姜太公の先祖は舜帝の時代の貴族で、しばしば戦功を立てたので、舜帝に呂地(現在の河南省の南陽市)を封じられましたが、姜子牙(姜太公の若い時の名前)が生まれた時に家庭の暮らしはすでに没落しました。平民になった姜子牙は若い時、牛肉を売る屠殺者になったこともあるし、酒屋を経営したこともあります。その後、「商」の役場に勤めましたが、「紂王」のやったことに不満して、とうとう官職を辞めました。どんなな状況でも姜子牙は勉強を忘れず、数十年の努力で、天文、地理、軍事、治国に渉る知識をすべて身につけました。そして、いつか国のために役立つことを待機していました。
姜太公が73歳の時、興ってきた周の国の「伐魚河」の畔に辿りつきました。周文王の注目を引くためにわざわざ針のようなまっすぐな釣り針で魚釣りをしました。姜太公はその間、いろんなことによって、世間の人々に自分の才能を見せました。十年経ってから初めてチャンスが来ました。才能のある姜太公の噂を聞いて、「商」を滅ぼす野望のある周文王は自分の馬車で姜太公を出迎えるように部下の大臣を命じました。とことが、姜太公は余所見もしない傲慢な態度で出迎えに来た人を断りました。すると人材を欲しがる周文王は自ら姜太公を出迎えに行きました。その後、周の丞相になった姜太公は相次いで周文王と周武王を補佐し、「商」の「紂王」を討伐し、「周」を立てることに戦功を立てました。「姜太公釣魚台」はそれで世の中で広く知られるようになりました。「姜太公釣魚」は中国では物事に対して無理しない事の洒落言葉になっています。
子どもの時、餌も要らずによく魚を釣れた姜太公のことを羨ましかったです。自分も姜太公のように魚がどんどんと釣れるならいいなと夢を見ました。大人になった後、いろんな考え方がありました。人生はの中でどんなことがあっても、姜太公のように落胆せずに根気よく頑張らなければなりません。また物事に対して、無理なことをしない出、チャンスが来るまで待つしかできないことがよくわかりました。

 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入場料は一人で50元でした。高いは少し高かったですが、でも「 姜太公釣魚、願者上釣」(相手は何も強制なことはしなかったが、自分が喜んで騙された。あるいは騙されても自分が悪かったという意味です。)の通りで、仕方はないです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

漢白玉で作った 姜太公は右手に「打神鞭」と、左手に本をもっています。後ろの建物は「姜太公廟」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「伐魚河」の谷では空気も景色もいい所です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

周文王が自分の参謀になるように姜太公にお礼をしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「姜太公釣魚台」は広さが2メートル、長さが2.5メートルあります。石の上に凹んだ跡が二箇所あり、跪いて魚釣りをしていた姜太公が残された膝後だそうです。宋の時代の詩人蘇東坡はそれについて「安知渭上叟、双跡留双骭」と言う詩を書いたことがあります。姜太公は三つの変わった魚の釣り方があります。一つは釣り針は曲がらずに棒のようなまっすぐな形です。二つは餌が要らないことです。三つは釣り針は水面から三尺離れた所にぶら下がることです。でも、妙な子どですが、姜太公は「姜尚が釣っているから、釣られたいものが来て下さい」と呟くなら魚がどんどん釣れたそうです。ある日、おかしい釣りぶりをしていた姜太公を見た樵夫が「このまますると死夢魔でも魚が一匹も釣れないよ」と皮肉しました。姜太公は「あなたはうわべのことしかわからないよ。私は普通の凡人のように釣りたくないです。それに、釣りたいのは魚ではなく、「王」と「侯」が釣れたいのです。」と答えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「願者上釣」(釣られたいものはかかってください)という字が彫られています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お昼は公園のすぐ近くのレストランで臊子面」を食べました。臊子面」は宝鶏市岐山県の名物です。結婚式とお葬式、老人の誕生日と赤ちゃんの満月を祝うと伝統な祭りなどの日には地元の人はみんなこれを食べます。普通はスープを飲まないことですが、知らないで飲んでしまいました。鹹かったです。

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コメント(2)

作者:( 「ふれあい中国」)

お客様からのコメント

1野良猫2012/08/08 20:00返信

 中国では、歴史ある遺跡にお金を投じて観光地化し、本来の趣を奪ってる気がします。また、擬い物のセットのような印象も受けます。中国の観光地が、どこを訪れても同じように感じるのは、近年になって加えられた装飾のせいだと思います。数年前に訪問した観光地を再び訪れ、がっかりして帰ることもありました。何も手を加えずに、ありのままに保存することも選択の一つだと思います。太公望に対するイメージが崩れてしまいました。ぜひ、もう一度訪れたくなるような場所であってほしいです。

  • 2012/08/10 19:28

    「野良猫」さん、コメントありがとうございます。私は「野良猫」さんのご意見と同感ですね。中国の各地では入場料をアップするために必要がないのにわざと手を加えて、元の自然の美しさを壊してしまいました。古い古跡は新しくされるともう古跡ではなくなってしまいました。心が痛い同時にそんな馬鹿なことをした人に憤慨しますね。そう言うわけで、私は自然の風景を見物することが多かったです。

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