友達と近郊で山菜を採りました。
2013年03月04日桂林の生活
桂林では最近寒くなったり、暖かくなったりして、三寒四温の天気でした。今日は朝っぱら太陽が出てきました。朝寝坊をよくする私が喜んで早く起きて、朝日の写真を撮りました。今日またいいお天気になると思います。
三月に入って、桂林では至る所に春めいています。山や野原や田んぼななどいたるところに新緑が満ち溢れています。薺、蓬、ごぎょう、チャンチンなどの山菜が自由市場に出荷されています。
先日、友人の韓さんと近郊の穿山郷の下関村へ山菜を採りに行きました。車で五分で着いた近所の所でした。そこに不動産会社に買われてそのまま放置され、荒地があります。近くの下関村の農家の人がその荒地を野菜畑に開拓しました。高層ビルの中にこんな春めいた畑があるのは思いにも寄りませんでした。一面に咲いている菜花の花が綺麗に咲いて、ミツバチがたくさん飛んできました。野菜畑の畦道を歩いた私たちは暖かい日差しを浴びながら、野草と土の匂いを混ぜた朝の新鮮な空気を吸って、思う存分に春の景色を楽しんでいました。野菜畑から漂ってきた人糞尿の匂いは懐かしい子供の時のことを思い出させました。
先日、友人の韓さんと近郊の穿山郷の下関村へ山菜を採りに行きました。車で五分で着いた近所の所でした。そこに不動産会社に買われてそのまま放置され、荒地があります。近くの下関村の農家の人がその荒地を野菜畑に開拓しました。高層ビルの中にこんな春めいた畑があるのは思いにも寄りませんでした。一面に咲いている菜花の花が綺麗に咲いて、ミツバチがたくさん飛んできました。野菜畑の畦道を歩いた私たちは暖かい日差しを浴びながら、野草と土の匂いを混ぜた朝の新鮮な空気を吸って、思う存分に春の景色を楽しんでいました。野菜畑から漂ってきた人糞尿の匂いは懐かしい子供の時のことを思い出させました。
山菜が農薬も化学肥料も使わない緑食品なので健康にいいです。中国では現在山菜を食べるのがブームになり、山菜の専門店が雨後の筍のように増えてきました。私たちは今回蓬と薺を採りに来たのです。桂林の人は蓬の若芽を利用して、「艾葉巴巴」(草餅)を作る伝統があります。薺は餃子を作る最高の材料です。そして、蓬となずなはそれぞれ殺菌、鎮痛、利尿・解熱・止血などの薬用価値があり、体にいいものです。
野菜と比べて山菜が強い生命力を持ち、野原にも田畑にも生えていました。朝露がついた山菜が瑞々しくて、光に照らされてとても可憐なもので、それを採るにはちょっと忍びないことでした。春雨に潤われて、土が柔らかくなって、薺は簡単に土から引きぬくことができました。生い茂った野草の中から山菜が見つけて、そして、それを採ることは一つの楽しみです。それは仕事の中にない楽しみです。土からを掘り出した度に薺のから特有の匂いがしました。それは春を思わせる匂いでした。一本一本の山菜を採る同時に一つ一つの春の楽しみも収穫しました。袋がいっぱいになると心の中の楽しみも満ち溢れました。毎年の春に山菜が採れるように荒地がずっと残っててほしいですが、今年のうちにこの土地は住宅に開発されるそうです。寂しいですが、仕方はありませんね。家に帰って艾を草餅に作ったり、薺を餃子に作ったりしました。春のプレゼントとしてしてそれを友達に贈り、私たちの楽しみを皆さんにも分けてあげたいと思います。
野菜畑の周りにマンションがぎっしりと立ち並んでいます。
蓬は益母草(メハジキ)によく間違いやすいです。
野原に薺がいっぱいありました。
花が咲いた薺は山菜としてもう勝ちはありません。
タンボボによく似ているサズナです。
暖かい春日を浴びながら山菜を採ることは楽しいことです。
山菜を入れる袋が一杯になると楽しみも満ち溢れました。
この花を見ると思わず「こぶし咲くあの丘北国の春」という「北国の春」の歌詞を思い出しました。
純潔なこぶしの花が大好きです。
辛夷の花について満作の花も咲きました。
年に一度しか咲かない万作の花は派手の裏にどうも寂しさが潜んでいるよな気がしました。
野菜畑の周りにマンションがぎっしりと立ち並んでいます。
蓬は益母草(メハジキ)によく間違いやすいです。
野原に薺がいっぱいありました。
花が咲いた薺は山菜としてもう勝ちはありません。
タンボボによく似ているサズナです。
暖かい春日を浴びながら山菜を採ることは楽しいことです。
山菜を入れる袋が一杯になると楽しみも満ち溢れました。
この花を見ると思わず「こぶし咲くあの丘北国の春」という「北国の春」の歌詞を思い出しました。
純潔なこぶしの花が大好きです。
辛夷の花について満作の花も咲きました。
年に一度しか咲かない万作の花は派手の裏にどうも寂しさが潜んでいるよな気がしました。
訪問者(1353)
コメント(2)
作者:( 「ふれあい中国」)
春高楼の花の園♪♪~日本の名歌、滝廉太郎の「荒城の月」を思わせる桂林の風情ですね。街中、紅い鮮やかな花で満ち満ちていますねー。菜の花摘んで、湯掻いてサラダ菜にして食べたいです。僕の気の合う、退職老人を引き連れて桂林を訪ねてみたくなります。それらの友人達と181病院から象鼻山へ、そして伏波山までの漓江の岸辺を散策したくなります。春云浓淡日微光,双阙重门耸建章。不上楼来知几日,满城无算柳梢黄。(梅尧臣)
有留先生、いつもコメント頂き、ありがとうございます。日本人の観光客から「陸さん、桂林ではどんな季節が一番綺麗ですか」と聞かれると私はよく「まあ、それぞれいいところがあります。」とあいまいな答えをしましたが、実は私は桂林の春が一番いいと思います。なぜかというと、一つは寒い冬とサヨナラして温かい春を迎えるのは寒がりの私には嬉しいことです。もう一つはもの寂しい冬から春爛漫な春に変わって、気分がよほど良くなルシ、人間も元気いっぱいになります。その上、山菜をとったり、ハイキングしたりして、私の好きな運動もできるのです。桂林は大都会ではないので、商売はしにくいし、そして、工場が少ないので良い就職もできません。その代わりに、桂林の自然の風景がいいし、水も空気もわりあい綺麗なので、引退生活にいいところだと思います。先生が桂林にお越しになる際、どうぞご遠慮なくご連絡下さい。