桂林の真夏が募る蝉しぐれ
2013年06月18日中国観光ガイド
桂林は6月中旬に入りますと本格的に真夏を迎えます。どこからともなく微かに蝉の鳴き声が聞こえてきます。これから桂林の真夏が来て暑さと戦う毎日になるでしょうと考えさせられます。最初、零細的に聞こえてくるぐらいなので、次第に気温が上がるにつれ、蝉しぐれに拡大して暑さも募るばかりのようです。
ところが、筆者はこの桂林の真夏を告げる蝉しぐれが別に嫌いわけでもないです。むしろ桂林の真夏の風物詩として捉えたいと考えています。
毎朝、 人間はまだ目が覚めていない内、蝉たちは「演奏」を始め「忠実」に新しい一日が来るのを告げてくれます。そして日中の炎天下にも関わらず、真夏の暑さに感化されたかのように、最大限の「情熱」を込めて万物の着々とした成長に「謳歌の大合唱」を送っているようにも聞こえます。蝉しぐれはあたかも真夏の桂林のライトモチーフのようです。桂林の詩情溢れた町のために一役を買ったと言えるしかないです。また蝉たちは爽やかな秋を迎えると物静かに、また人に迷惑を掛けずにこの世を立ち去ってゆくのです。有終の美を飾る一生をもっとうするのです。
逆に真夏の桂林の暑さに耐えられない鳥たち(渡り鳥に限定する)が知らぬうちにどこか涼しく、凌ぎやすい場所に逃げてしまうのです。この点で見ると鳥は「日和見主義」の疑いがもたれており、なんとみっともないものと言えるでしょう。その代わりに潔く麗しい「出番」を演出するのがほかでもないこの蝉たちなのです。筆者は真夏の桂林の暑さにじっと堪える蝉の忍耐力に頭が下がるばかりであり、賛美の言葉を贈らないではいられません。
中国晩唐の時代に活躍した李商隠が蝉を絶賛したこともあり、そして自分自身を蝉にも喩えた漢詩を残してくれました。日本の俳人である松尾芭蕉も「静けさや岩に染み入る蝉の声」という名句も創ってくれました。
我々人間も長い人生の中、幾多の困難や挫折に余儀なくされた時があるものですが、「日和見主義」に左右された鳥のような態度をやめ、蝉のような「忍耐力」で、真っ向から立ち向かうべきではないでしょうか。このような覚悟が出来てこそ、誰もが悔いのない一生を全うすることができるものだと確信しています。
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コメント(2)
作者:( 「ふれあい中国」)
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桂林は真夏が到来し、雨が降ったと思えば、カーッと照りつける日照りで日中出歩くのも難儀な日々ですね。七星区の学生街は学期末を終え、いよいよ夏休み。足早に郷里に向かう学生が多いことと思います。理工、師範、科技の学園広場の木立の「蝉」も一段と声、やかましく鳴きわめいていますでしょう。 本(もと)もと高き以(ゆえ)に飽(あ)き難(がた)く、徒(いたず)らに労(ろう)す恨(うら)みて声を費(つい)やすを。五更(ごそう)疎(そ)にして断(た)えなんとし、一樹、碧(みどり)にして情(じよう)無し。薄官、梗(こう)猶(な)お汎(うか)び、故園、蕪(あ)れて已(すで)に平(たいら)かなり。君が最(もっと)も相(あ)い警(いま)しむることを煩(わずら)わす、我も亦(また)家を挙(あ)げて清(きよ)し。晩唐・李商隠。「蝉よ、君こそ最も厳しく私をいましめてくれる」。苦難多き人生を送った進士人の極まりであろう。大中元年(847)年李商隠三六歳の時、桂州刺吏・鄭亜の掌書記として桂林に赴いた時に作りし「桂林」の詩作も有名である。桂林の城内はすべてが水に浮かんでいると表現している。私の住まいは桂林の老人山の麓、翊武路にあるが、医学院から師範大学付属高校の通路の木々の蝉もまことにうるさくて昼寝もできないくらいである。真昼にはよく冷えた西瓜でも食うてリラックスいたしましょう。日本での仕事終えていち早く古都(嶺南)に帰りたいもである。
「桂林浪漫」先生様からコメントをいただきましてありがとうございます。まず筆者の拙文のブログを読んでくださいまして心から感謝の気持ちを表したいです。また先生の中国古典文学に対する造詣の深さに筆者は頭が下がるばかりです。この点で筆者として先生には及ばないことに恥ずかしい思いがしないではいられません。 さて桂林は毎年のように真夏が来ると蝉の喧しい鳴き声が聞こえてくるものですが、そのたびに何とかして蝉についての何かを書きたい衝動に駆られます。最初筆者も人並みの考えを持ち、「うるさいな」とばかりでしたが、だんだん慣れて見ると「そうでもないな!真夏の割に蝉も大変苦労しているじゃないですか」と考え直してきました。蝉はよほどの忍耐力がなければとも思いつき、拙文を完成させたわけです。いささか荒唐無稽なブログかもしれないですが、先生からのご鞭撻やご指摘をいただくことを幸いなことにしてお願いしたいものです。 これからさらに先生との交流を楽しみにしていきたいです。