いびつな清明節に反省しよう
2012年05月17日中国文化
中国では毎年の4月5日の清明節になると必ず先祖供養に家で亡くなった家族の位牌を飾り、その前に(日本では仏壇に近い物)肉や魚や果物などを供えてお香や「紙銭」(冥土で流通するとされるお金)を燃やして参拝する習慣があります。そして公共墓地に出かけてお墓参りする習慣もあります。このために、政府が全国的に三日間の休日を決めて対応しています。この墓参りのために、いくら遠く離れた人でも故郷に帰るという気持ちが中国人の心にすっかり根ざしています。
しかし、世の中が何もかも商業化されたようであり、お墓参りに上記のような伝統的な「冥器」を使う外、いろいろとこの伝統を乖離した変な「冥器」がいつの間にか登場しました。例えば、「車」や「別荘」、色々な「外貨」などが市場で販売されており、一部の社会学者や識者に批判されるまでになっています。これは実際商業化に伴う金儲け主義以外の何物でもないです。
お墓を造る場所代もこの異質の風潮に振り回されて、どんどん付けあがり、買えそうもないほど暴騰したようです。昔の純粋な先祖供養から、金儲け主義一点張りのありさまに変わりました。すでに深刻な社会問題として蔓延しています。せっかく儒教に合致した伝統を台無しにすると同時に、文明化が進む時代ともかなり抵触しています。必要以上の莫大な金銭を使って、贅沢な墓参りする必要があるのでしょうか。
私どもには両親などが元気なうちに親孝行の気持ちでケアしないといけないという理屈が分かっているが、一旦亡くなったらすべてがお終いになり、どんな贅沢な「墓参り」であろうと役には立たないのです。まして時代が進みインターナットの普及にも恵まれており、この進んだ時代に応えるやり方が講じるべきだと思われます。たとえば、先祖を悼む気持ちを表そうとして今の時代のライトモチーフと位置づけられた環境保護を掲げて、墓の周囲に植樹したり、ネットを利用したりするやりかたが考えられます。逆に墓地でやたらに爆竹を鳴らすと煙で環境が汚れたり、ごみも無造作に捨てられたりして目に余るほどです。へたをすれば、火事になったり(実際毎年このような山火事が相次いでいます)、人に怪我を負わせたりして効果が正反対となります。家族の先祖を悼む気持ちは理解できますが、あまり度を過ぎないようにほどほどにすることも大切です。
要するに、理性的になりこの愚かな風潮に盲従するのを戒め、もう異質にバリエーションした墓参りをただす緊迫性が叫ばれます。これは私たちにとって深刻な社会問題として徹底的に反省しなければなりません。
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コメント(2)
作者:( 「ふれあい中国」)
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コメントをいただき、ありがとうございます。まったくご指摘したように、一人一人の公徳心を培うことが大事で、環境保護は私たちの一人一人の努力によることなのです。、さもなければ、せっかくよい環境が壊されてしまい、我々の生存のよりどころもなくなってしまいます。ここで環境保護の重要性をいくらアピールしても過言ではないでしょう。
皆が公徳心を持って、環境にやさしい行動をしていけば、私たちの住む環境もよくなっていくと思います。