韓文公祠

   韓文公祠は広東省潮州市の東面の韓江の東岸、筆架山の中峰「双旌石」の下に位置しています。筆架山は韓愈のため韓山とも呼ばれます。韓愈は唐代中期の官吏、文学者、思想家、哲学者、政治家です。韓文公祠は中国で現存している韓愈を記念する祠です。韓祠の主体建築は前後二進に分かれています。祠の中の梁間に名家が書いた額をくまなく掛け、壁に沿い、歴代の碑文40面をループしています。韓祠の歴史と韓愈治潮の業績と韓祠をたたえる詩文が記載されています。その中には書法の貴重品や文史を研究する貴重な資料がたくさんあります。

   韓文公祠は宋の時代の宋真宗成平二年(西歴999年)に建てられました。潮州通判の陳尭佐が金山麓の夫子廟の正室の東側に「韓官吏部祠」を建設しました。元祐五年(西歴1090年)に知州の王涤は城と離れた南の7里に引っ越しました。蘇軾は『潮州昌黎伯文公廟碑』を書きました。南宋の淳煕十六年(西歴1189年)に知軍州事の丁允元は韓愈はこちらで遊んでオークの樹を植え付けたと思うので、城南七里の韓国語公祠を現在のところに引っ越しました。歴史上で、国内は韓愈の廟の建物の地方を祭り記念することが三つあります。一つは韓愈の故郷の河南孟州で、一つは韓越がかつて刺史を担当した広東潮州で、もう一つは河北の昌黎です。

   韓文公祠の正門の額は中国元指導者胡耀邦が書きました。祠内のオークの樹は潮州の八景の一つです。2006年5月25日に、韓文公祠は明から清の時代の古い建物として、国務院に第六陣全国重点文物保護単位に評されました。