武当山古建築群

 武当山は別名で「太和山」とも言い、湖北省の丹江口市の西南部に位置しています。明代の皇帝に「大岳」、「玄岳」とシールキャップされたとして「五岳」の中で最もステータスの高い山だったと認められました。最高峰である天柱峰が高さ1612、1mあり、周囲にはそれぞれ「72峰」、「36岩」、「24渓」などと言われる名勝地が点在して普通、世間で「万山来朝」と称されるほど、景色が美しいです。

武当山の古築群は唐の貞観年間(西暦627~649)から工事を始め、明代はその絶頂期を迎えたと言われます。この長い歴史の中で数々の建築物が築かれました。明の嘉慶31年(西暦1552年)に「治世玄岳」という「牌楼」が完成したまで、今日見られる建築群はほぼ完備されるようになりました。
武当山古建築群は主に「8宮2観」から構成されています。その内訳として大和宮、南岩宮、紫宵宮、遇真宮と言った4つの宮殿、及び玉虚宮、五竜宮の二か所の遺跡、そして200余の各様式の祠や寺などを含んでいます。敷地面積が100万平方メートルに達し、建築面積が延べ5万平方メートルにも及びます。スケールの大きさに息を飲みます。その中で大和宮、南岩宮、紫宵宮、复真宮、「治世玄岳」の牌楼が重要文化財にも登録されています。
大和宮は武当山の最高峰である天柱峰の南にあり、建築面積が1600平方メートルになり、主に21棟の建物からなっています。ここは紫禁城、古銅殿、金殿と言われる建物が配置されています。紫禁城が明の永楽17年間(西暦1419年)に築かれたものであり、城壁が険しい崖の上に造られ、高い天柱峰まで巡っていきます。古銅殿は元の大徳11年(西暦1307年)に建てられ、建物に鏤めるパーツが全て銅製のものだとして、同類の中で中国の最も古い建物だと評判されます。金殿は明の永楽14年(西暦1416年)に工事が始められ、現存する最も大きい宮殿だと言われます。
南岩宮は元の至元22年(西暦1285年)に造られ、天乙真慶宮の石造りの宮殿、両儀殿、竜虎殿などの建物21軒が保存されています。
紫宵宮は古建築群の中で最も規模の大きく、そして保存状況が最も完璧な道教施設です。北宋の宣和年間(西暦1119年~1125年)に造られた紫宵宮は明の嘉慶13年(西暦1552)に増築されたものです。メイン建物の紫宵殿は武当山の代表的な木造建築物だと推称されています。 本殿の中に36本の金メッキの柱が立てられており、玉帝の塑像が安置されます。建築様式にしろ内装の飾りにしろ明代の特色を色濃く反映しています。
「治世玄岳」という「牌楼」は武当山に入る玄関口として名高いです。全体が全てほぞとほぞ穴で組み合わせた「牌楼」はデザインがきめ細かくて、造形も華やかです。上には多くの人物や花の模様が施されています。これらの図案が明代の芸術を代表できる傑作です。
この外に武当山の各道教の施設の中に各種の彫刻像などが合わせて1486体も数えることができます。 岩肌に刻んだ文字や彫刻など合わせて409余箇所に及びます。宗教の関連用具が682件あります。更に大量の書籍も大事にされ、いずれも貴重な文化遺産として珍重されています。
武当山古建築群は集中的に古代中国の建築と装飾芸術の素晴らしさを伝えています。これらの建築群により道教文化、武当道楽及び武当武術文化などが育まれたのでした。我が国の伝統的な文化の伝承と発展に大いに寄与したと言えます。