広漢三星堆遺跡

中国5000年の歴史の証明である長江文明の源と讃えられる三星堆遺跡は中国南西地方で面積が最も広く2000年の歴史を持ち、今なお現存している古城?古蜀文化遺跡で、1929年に発見されてから50年代に発掘が始まり1963年にかつての三国時代の蜀国の城であることが認められました。この遺跡は四川省広漢市から西に11㎞ほど離れた三星村にあり、南に38㎞で成都、北に26㎞で徳陽市と都市に囲まれています。青銅時代の遺跡として博物館も建てられ、出土した農具や生活用品、玉器、陶器とそれぞれの製造場や古い城壁、住宅の遺跡は蜀国の都市であったことを証明しており、中国古代の五大商業都市の一つに数えられています。

次に三星堆遺跡で出土した文物や青銅器、金器、玉器をご紹介します。

「銅造人物像」
 形状がそれぞれ異なりますが、精美な鋳造技術やユニークな表情などで神秘的な雰囲気を醸し出しています。特に有名なのは「千里眼と地獄耳」の造型三点です。目玉が眼の縁から突き出て、耳は猛獣のように大きく、口が耳の付け根まで広がっているのが特徴で、そのつり上がった三重の口はまるでこちらに笑いかけてくるように見えてきます。その中で最も大きいものは高さが62cm、幅が138cmで、円柱形の目玉が16.5cmも突き出ています。しかも不思議なことに瞳は付いていません。

「人物立像」
顔面に特徴があり、どれも高い鼻と太い眉、大きい目や耳、横に広がった口が付いており、耳たぶには穴が空いています。またその中には世界一高い青銅人物像が存在し、身長が170cm、台座を含めると2.62mで、総重量は180kgを超え、その大きさから「世界銅像の王様」と讃えられています。この立像は3000年以上の歴史を持っており、「東方巨人」と言われています。さらに立像にある花の冠の中心に太陽を表す円形の印があり、太陽神のように太陽崇拝を体現したものだとも言われています。

「太陽輪」
数多くの出土品の中で最も神秘的と評されており、太陽崇拝の飾り物や盾の代表物と推測されています。また、支柱が5本から構成されており中国の伝統で一般的に縁起数とされる偶数でないことに不思議を感じさせます。

「青銅神樹」
合わせて6本の銅樹があり、1号から6号まである中で修復できたのは1号だけです。1号の高さは約5mと推測され、現存するのは3.96mまでで上部は欠けています。樹の下には台座があり、3本の傾いた根が樹を支えており、木の幹はまっすぐ上に伸び、3本の枝がついています。枝の蕾には太陽を象徴する神鳥が9羽とまっており、かつての10の太陽があったという伝説から、未修複時にはもう1本の枝と1羽の神鳥が存在したと考えられています。

「金の顔当てと金杖」
西アジアと北アフリカにも同じものが出土されたことから、権力を象徴するものだとされています。この金杖は古代蜀王の王杖と言われ、三星堆の所有者の証となるもので、長さ142cm、直径2.3cmで、金の含量は0.5kgです。