剣門関
「天下の雄関」と讃えられる剣門関は剣門蜀道景勝地の重点観光区として1982年に国家級観光地、1992年に国家級森林公園に認定されました。「剣門関を得れば、四川を得る」といわれるほど剣門関は蜀に向かうための要害の地として、2000年以上の歴史の中で100回を超える戦いで戦地として常に争われてきた要所です。かつて戦国時代の秦恵王は蜀を併呑するために蜀王に金牛と美人を褒美として届けるという嘘をつき、蜀王がこの道を開拓させたことから「金牛道」と名づけられました。また、三国時代には諸葛孔明が魏を征伐する途中でこの道をさらに修繕し、蜀滅亡の直前には名将?姜維がこの剣門関を死守したことでも有名です。さらに、当時「梁山」と呼ばれていた剣門山は大剣山、小剣山に分かれており、剣門山脈の南西部に属し現在の剣閣城から30㎞離れていました。その奇峰の絶壁は空を遮るが如く空高く聳え、東北から南西に100㎞以上延々と連なり、雄大な雰囲気を持っています。主峰である大剣峰は剣のように突き立ち、一本の道がその絶壁を分かち、大きな門のように見えることから剣門と言われるようになりました。
剣門山脈で最も高い五子山は標高1330mで、丸い峰が伸びるように高く聳え立っています。また、五つの峰に洞窟が一個ずつ存在し、第一峰の洞窟は老龍洞と言われ剣閣県聞渓河の発祥地になっています。雨が多く雲の形状が多様に変化し、大自然が生み出す五子山の晴れ靄が有名です。
剣門山は亜熱帯モンスーン気候の影響で四季の区別がはっきりしています。春は南北の気流が入れ替わる季節で、雨が少なく春の嵐が発生することもあります。2月になると気温が上昇し、杏や桃や梨の花が次々と咲き、花の香りに誘われた鳥が美しい鳴き声を響かせ、うららかな春景色を感じさせてくれます。秋になると北の寒流が訪れ、霧や雨の日が多くなります。雨の日に翠雲廊をそぞろ歩くと物静かな雰囲気に包まれた情緒あるひとときを満喫することができます。また、四川省地質公園として雄大で険しい地形を持つ剣門関は三国文化や蜀道、関所、革命文化を包括していることでも有名です。
次にここの観光ポイントをいくつかご紹介します。
「剣門関関楼」
代々この地を治め国々は剣門関に関楼を建造しましたが、戦火の中で度々崩壊してしまいました。いま現在の関楼は四川大地震の後、2009年に建て直されたもので、幅18.3m、高さ19.61m、奥行き17.7mで木造建築の広大な気勢を放っています。
「諸葛孔明塑像」
剣門関を命名した三国時代の蜀の軍師?諸葛孔明を称えるために作られた孔明立関像です。
「劉備塑像」
劉備は成都を都に定めた後、217年に剣門関が属する剣閣県を設立し、この地をを中心に漢中から成都までの約1000㎞を一つの領土として剣閣県を守護しました。劉備は帝位につく前に4度剣門関を訪れたことがあり、それを記念して作られたのがこの劉備過関像です。
「姜維神像」
関楼の西にある関所の絶壁に巨大な人の頭のような峰が聳えており、地元の人々は姜維神像、武士神像と称しています。その険しい山肌が兜を被り高い鼻筋や大きい目、厚い唇を持つ人の顔に見え、その端正で落ち着きがある表情から三国時代に非凡な気概を持っていたこの地に縁の深い姜維の名が授けられました。
「梁山寺」
大剣峰の頂上にあたる桃花峰と逍遥峰の間、標高1180mの舎身崖に位置し、梁武帝が修行した場所といわれています。唐の時代に建立され、清の時代には中庭が2つある四合院が増築され、敷地面積は947㎡になりました。寺内には大雄宝殿のほかに観音殿や蔵経楼などがあります。