昭化古城

  広元市郊外の昭化古城は旧名を葭萌関といい、張飛と馬超が夜を徹して戦った場所である。
魏・呉・蜀の三国鼎立が定まる前夜、確たる領土を持たなかった劉備が成都の太守劉璋(りゅうしょう)の求めをうけ、漢中の張魯(ちょうろ)の南下に対して援軍として出撃し、成都進出への足がかりを作った。当時、曹操に破れ、張魯のもとにいた馬超は劉備軍と戦い、張飛と馬超は決着がつかず馬超の勇姿を惜しんだ劉備の仲立ちもあり、その後馬超は劉備の下に身を寄せる。 以後、張飛・馬超は蜀の五虎将軍(趙雲、関羽、張飛、馬超、黄忠)のひとりとなる。
昭化古城は揚子江の支流嘉陵江に注ぐさらに支流の清水河に沿い、四戦の地とも言われ、東西南北の各関に通じる、蜀の咽喉に当る重要戦略拠点で全体が遺跡となっている。
  蜀の名残り朝天関から昭化古城、検門関と見所がたくさんある場所である。