ハミ回王陵

ハミ回王陵はハミ市の西郊外に位置し、1698年から200年以上も新彊の地方政権を掌握していたハミ王一族の陵墓です。約1.3ヘクタールの広大な敷地内には大拱北、東屋式拱北とエイティガル(艾提卡爾)寺院という3つの建物が残されており、現地の人々には「黄金の地」と呼ばれ、全国の重要文化財に指定されています。

大拱北(伯錫爾王陵墓)
大拱北はハミ王陵の中でも最大の陵墓で、7代ハミ王•ビシル(伯錫爾)と8代ハミ王•ムハマド(穆罕默德)一族40人がここに眠っており、陵墓の完成には20年の歳月が費やされたといわれています。大拱北の中央はドーム型の典型的なイスラム建築で幅15m、高さ17.8mの矩形の壁が西に面しており、中央には「イーワーン」と呼ばれる開口空間が広がり、三角の切妻屋根は新疆では珍しいもので、左右の壁にはそれぞれ4つの三角形の「ニッチ(壁龕)」が設けられ、イーワーンの上に立つ2つの尖塔には螺旋階段があり、屋上まで通じています。
 大拱北の外壁はすべて彩釉タイルで装飾され、ドーム型の屋根は深緑のタイルで覆われています。、また、拱北の内壁は白地蘭花タイルが用いられ、日に照らされて輝く様子は落ち着いた雰囲気を感じさせます。

東屋式拱北(沙木胡索特王陵墓)
大拱北の南には東屋式拱北が2つ残され、東側には9代ハミ王•シャー•マクスド(沙木胡索特)夫妻と家族13人の墓が安置されており、西側には台吉(ハミ王の重臣)と家族12人の墓があります。シャー?マクスド王墓は内部、外部に分けられており、内部は方形の煉瓦建築で王族の墓が安置されています。外部は木造の東屋風建物で八角形の二重屋根と格子細工の壁が造られ、内部から外部へは上がることはできず木造建築は装飾として内部の煉瓦建築に被さるような独特な構造をしています。台吉墓の構造とデザインはシャー?マクスド王墓と同じですが、外部に乗せた円形木造屋根がモンゴルのパオ(移動生活に便利な組み立て式の家)に似ているといわれています。
このことから東屋式拱北は漢族、モンゴル族、ウイグル族の文化を取り入れた融合建築であると考えられています。

エイティガル(艾提卡爾)寺院
大拱北の西には有名なエイティガル寺院があり、初代ハミ王に創建されたと言われています。4代王•ユースフ(玉素甫)によって増築され、現在の規模になりました。寺院は東西60m、南北38m、総面積2280㎡で、ハミ最大の礼拜寺院、5000人を収容することができます。堂内にある108本の松の木柱は9列に分かれて立ち並び、壁には草花の図案とコーランなどのアラベスク模様が施されています。青と黄色タイルで飾られた巨大なミナレット(宣礼塔)が立ち、屋上までは螺旋階段が作られ、祭日には人々の読経の声が数km先まで届きます。
エイティガルはウイグル語で「祭日に宗教活動を行う場所」を意味し、イスラム暦10月の「ローゼ祭」と12月の「クルバン祭り」になるとハミ地区のイスラム教徒の多くが礼拜に訪れ、大きな賑わいを見せます。