科尓沁草原

 科尓沁草原は内モンゴル自治区の東部に位置し、松遼平野の北西の端にあります。興安盟と通遼市の一部を含めています。科尓沁草原は古代のモンゴル部族の名称を受け継ぎ、科尓沁砂地とも呼ばれています。面積が4、23平方キロメートルに及びます。科尓沁草原は孝庄文皇后の故郷であり、モンゴル語で言うと「もっとも皇帝に忠誠な部落」という意味です。原始的森林、川、青空、植物、食事などが話題になっています。平らで柔らかい草原が緑の絨毯のように見え、中に入ると大海原に臨んでいるかのような錯覚に陥ります。ここを歩くにしろ、車で行くにしろその美しさに魅了しない人は誰一人としていないでしょう。

 

 科尓沁草原は昔、川が多く、草がよく生えた場所だったと言われます。記載によると紀元10世紀ごろ、「地が肥え耕植に適し、水草が牧畜に便とす」と伝えられました。19世紀の初め、魯札特旗の南東部に松林がまだあったと言います。19世紀の末頃から森林の伐採や草原の開墾によりかつて「平地松林800里」と言われる赤峰の北部が果てしなく一面の砂漠に化しました。人類の生活や生産活動が日増しに砂漠に脅かされる中、人工による草原保護や育林などの取り組みが始められ、灌漑や過度な放牧を控える措置が取られていることから効果が上がっています。

 

 科尓沁草原は冬が寒くて夏が暑いです。春、風が強くて年降水量が360ミリメートルです。主に6~8月に集中しています。かなり広い天然牧場に恵まれ、およそ2000万頭の「科尓沁紅牛」、「興安細毛羊」、「モンゴル血統の牛や羊」が飼われています。

 

 科尓沁草原は歴史が古くて文化の流れも長いです。大量の発掘された文物によりますと約5000年ほど前に、科尓沁草原一体は高度な古代文明が育まれた来たと言えます。最初の狩猟文化からスタートし、その後、遊牧民からの影響を受けてきました。最後に中原の漢民族の文化の吸収で高度な農耕文明は開花させました。ともに輝く漢民族を主体とする中華文明の一部に築き上げることが出来ました。現在、残された名勝旧跡として遼代の古城、近代のお堀、科尓沁の十旗(部落)が会合した場所、及び数々のお寺や寺院などが数えることができます。広大な科尓沁草原には大青溝、汗山、科尓沁草原湿地などの自然保護区があります。

 

 科尓沁草原の伝統的な食べ物に牛や羊の肉や乾し牛肉、羊の肉が最も有名です。馬乳の酒も美食としてよく飲まれています。近年来、科尓沁草原に引き続き民族系統の企業が誕生してより多くの地元物産を造っており、マーケットシェアを拡大しています。中に乾し牛肉で有名な科尓沁牛肉加工業、草原のお酒を生産するモンゴル王酒の企業などが含まれています。