チンギスハン廟
チンギスハン廟は烏蘭浩特市の北部にある海抜350mの罕山の頂上に位置しています。罕山公園の重要な部分とされます。チンギスハン廟はモンゴル、漢族チベット族の建築様式を導入して造られたものです。漢族の建築様式によく見られる中間線理念を生かし、建物の配置や配列を決めます。そして建築の主体が丸い屋根、四角い壁、緑のドームに白い壁という典型的なモンゴル族とチベット族の風格も採用しています。廟の全体が北に背を向け、南に面しています。廟全体は「山」字型に配列し、真ん 中になるのが高さ28Mの本堂であり、両側にあるのが高さ16、62mの副殿です。建築面積が322平方メートルに及ぶ建物は上が丸くて下の方が四角い形となって上、中間線もはっきりしています。合わせて九つの尖塔がくっきりとして立てられます。本堂の真ん中にある大理石の台座に高さ2、8メートル、重さ2、6トンのチンギスハンの金メッキの銅像が安置されています。16本の柱に支えられています。両側には元代に使われた武器が陳列され、東西の副殿に中に同じ元代の服飾や書簡、器などが収められています。各建物の天井にモンゴルの古代の図案が描かれ、地面に花模様の絨毯が敷かれています。壁にチンギスハンの功績を称える大型の壁画が飾られる建物の表面が白くて屋根が黄金色に覆われることから、厳かな雰囲気を伺わせて、遠い所からでもその雄姿を見ることができます。工事が1940年に始まったチンギスハン廟は1944年10月に落成し、敷地面積が6、8万平方メートルにも達しています。
チンギスハン廟は例の文化大革命の時代に破壊され、1983年6月に政府の専用資金により、再び復旧作業に乗り出しました。1987年7月に工事が完成し、地元の重要文化財に指定されることになりました。年間受け入れ人数が20万人を超えています。
外に、チンギスハン廟の主な観光ポイントと壁画は次に並べられています。
1、展覧庁
最初、祠を守るラマ達のため建てたものでしたが、現在チンギスハンの一生を記録した詳しい文字や図画やチンギスハン廟の変遷の資料などが陳列されています。
2、チンギスハンの語録を収録した長廊
合わせて55句1738字にも上る政治、軍事、教育などの分野にわたるチンギスハンの語録が整理されて刻まれています。
3、チンギスハンの彫像
花崗岩を座台座にした彫像はいかにもチンギスハンの勇ましい天下無敵の姿を余すところなく表現しています。
4、壁画である「暢通東西方」
三枚から構成した壁画はチンギスハンがヨーロッパを遠征した物語であり、それに東西文化が平和な環境に恵まれ、仲よく交流ができる歴史も表現されています。
5、西長廊壁画
この壁画はチンギスハンの生い立ちを詳しく伝えています。
6、本堂の中にある壁画
壁画にチンギスハンの偉業達成に欠かせない弟や文官、武官などが描かれています。
7、チンギスハンの金像
高さ2、8M、重さ2、6トンにも及ぶ金像は中央美術学院の彫塑学部の寺宜教授により制作されたものです。文武兼備のチンギスハンの非凡さを表しています。
8、ヨーロッパとアジア地図
20年にわたるチンギスハンの遠征により、アジアやヨーロッパをまたがる当時絶大と言われるモンゴル帝国を築きました。地図が征服した国や地域を網羅して現在のおよそ40か国の領土を含んでいます。
9、チンギスハンの教子図
この図柄はチンギスハンが子供に兄弟同士でお互いに団結すればどんな強敵でも打ち負かすことができるのを教えています。