​梅関古道

   梅関古道は江西省大余県と広東省韶関市の南雄市の境に位置しています。大余県城からおよそ10キロ離れており、南雄市内からおよそ20キロになります。梅嶺は南遷越人の首領である梅絹の姓にちなんで命名されたと伝えられています。梅嶺の別の言い方は梅の木が多いということで、“梅嶺”と呼ばれています。今の地図には「小梅関」という名前があります。梅嶺古道は全国で最もよく保存されている古道で、古道の幅はおよそ6尺です。路面にはきちんと玉石が敷いてあり、道のそばには生い茂った灌木林が立っています。

   梅嶺は古戦場で、革命戦争の時、紅軍が何度も戦ったところです。特に陳毅は部隊を率いこの一帯で3年間の遊撃戦を続け、危機に際して『梅嶺三章』を書き、梅嶺の知名度をさらに高めさせました。

   梅嶺の梅の木は嶺南嶺の北に広がっていおり、冬になると至る所に梅の花が咲き、梅の世界になります。

   梅関古道は接嶺橋、宿屋、憩雲亭、将軍祠、関楼、雲封寺、六祖廟などの観光スポットがあります。

   2016年12月に、<<全国紅色旅遊景点景区名禄>>に登録されました。