烏海市は内モンゴル自治区の西部にある新しい工業都市であり、黄河の上流に位置しております。東に鄂尓多斯高原に望み、南に寧夏回族自治区の石嘴山市と川を隔てています。西の阿拉善草原と隣接し、北が河套平野と繋がります。総面積が1754平方キロメートルに達する烏海市は53万の人口を抱え、漢族、モンゴル族、満族、回族などの25の民族により構成されています。烏海市は鉱物資源に恵まれることから、西部の開発に見込まれる都市としてよく知られています。近年来、地域政府が国の重要化学工業基地を造るのを目標にして特色のある産業を育て、地域の強みを強化しようとします。更に地元の豊富な観光資源を武器にして大変便利な交通網を完備させたことから、住宅建設部に最初の国家の「知恵型の試験都市」に指定されました。
烏海市がまとめて言うと「黄河明珠」、「書道の町」、「砂漠のオアシス」、「葡萄の里」と呼ばれます。
烏海市は紀元前127年(漢元朔2年)に、武帝が匈奴を撃退した時から、初めて中央政府の支配下に納められたと考えられます。それ以来、南北朝時代まで、ここは北方系の各民族による攻防の地として繰り返して支配されたりしました。隋、唐の時代になり、ここは殆ど朝廷の政権の支配下になったことがありました。
宋代になった後、ここは間接的に宋の王朝に支配されていました。元代はここが中央政府の設けた寧夏行省中興路に管轄されました。そして明、清時代にもそれぞれ中央政権の管理下に納められていました。民国時代に烏海市が国民政権による統治がなされていたが、1949年に、平和的に共産党政権に移譲することができました。1976年1月10日まではここが寧夏回族自治区の所属でしたが、1976年1月10日から正式に内モンゴル自治区の行政の管轄に変わりました。
烏海市は典型的大陸気候に属され、特徴として冬は寒くて雪が少ないです。春は乾燥し、夏は気温が高くて雨が少ないです。秋は気温が下がるのが早いです。夜間と昼の気温差が激しいうえ、日照時間も長いと言われます。年平均気温が7度であり、極端的に高い気温が40度もあり、逆に記録的マイナス気温が氷点下36度もマークされたことがありました。
烏海市は鉱物資源が豊富であり、今まで明らかにされたのが37種の鉱物資源があり、さらなる工業発展を促す貴重な燃料とされます。観光資源として黄河沿岸の景色を始めとした観光地ばかりではなく、高く聳えた山脈や広大な砂漠地帯、草原、珍しい歴史的遺跡なども挙げることができます。