梅庵
肇慶市の西2kmの所にあり、北に北嶺山を背負い西江に面した、嶺南では数少ない千年の歴史ある古刹である。
宋の至道2年(996年)の創建で、記録によると唐代の仏教禅宗六祖・恵能が肇慶市に立ち寄った折に、この山に梅を植え、その後智遠和尚が六祖を記念して、彼が梅を植えた場所に庵を建てたので、梅庵と名づけられたのだというと伝える。占地面積は5000㎡、建築面積は1400㎡。周囲は壁で保護されている。主な建築物に山門、大雄宝殿、六祖殿、また前後に天井と廊下がある。付属建築物には庵前の平台、六祖井戸、梅園などがある。
中国の禅宗では、達磨太子を一祖、それを次いだ弟子・慧可を二祖、順に三祖四祖と数える。その六祖が慧能である。
現在の梅庵は、山門、祖師殿、大殿などからなり、祖師殿はいまなお宋代の木造建築の様式を留める。
特色
明の嘉靖年間(1522~1566年)、梅庵は夏公祠に改められ、全ての仏像は庵から運び出され露天に放置された。明の万歴元年(1573年)以降、何人かの僧によって梅庵の増築や拡張が7回にわたって行われ、仏像の金箔塗装も2度行われた。1995年、全面的に修繕と拡張工事を経て、梅庵の外観は一新された。山門の前にはインドの菩提樹が植えられ、豊かに葉を茂らせている。梅花園では、毎年新春の際に梅の花が咲き誇る。新設の壁画室には、六祖恵能の修行風景を描いた巨大な巻物が展示されている。また六祖殿内の仏壇には、全身銅製の六祖象が奉られている。
梅庵は広東省の一番古い木造建築物のひとつである。特に大雄宝殿の梁や升組は宋代の建築様式を色濃く残しており、江南の貴重な北宋遺跡と呼ばれている。
梅庵は六祖を奉るために建てられ、仏教史上のみならず、古代建築構造や建築技術史上においても重要な科学研究価値を備えている。