中国の伝統の祭りーー冬至
2011年12月22日桂林の生活
今日は中国旧暦の「冬至」です(正しい時間は13時30分です)。冬至は中国の24の節気の中で、最も重要な一つである同時に民間の中で非常に大切な祭りでもあります。一年の中で、白昼が一番短く、夜が一番長いこの日が過ぎたら、それから白昼の時間は長くなり始まり、陽気が上昇する一方です。それで、漢の時代から中国人は[冬至]を目出度い日としてお祝いしてきました。中国は広いから、地域によって、お祝いの風習がそれぞれ違います。北方は餃子、わんたんを食べ、南は「湯圓」(甘い団子)を食べて、お祝いします。
冬至から、天気が寒くなり、民間にはこの日から「九」数え始まる風習があります。九日を一つの「九」いして、「三九」(27日)になる時の天気は一番寒いです。「九九」はもう二月に入り、春になります。「九九艶陽天」と言う諺があります。
桂林では昔から「冬至大過年」(「冬至)の祭りは旧正月より盛大なり)と言う言い方があります。「冬至」の日になると、前の日に片づけておいた鶏、家鴨、魚、豚肉を屋外に出して干します。干すものは多ければ多いほど来年多く儲かると言う縁起があります。夕飯は家族全員を揃って、温かいお鍋を食べます。食べ物として欠けてはならないものは「豆腐丸子」(色が黄色い豆腐の中に肉とお好みのものを詰め込んでできた物)と言うものです。中国の南方では「丸」と「圓」の発音はみんな「Yuan」で、円満と家族団らんとのことを意味します。
冬至は毎年の新暦の12月の21から23日までの三日間にあります。旧暦の場合はほとんど十一月にありますが、年によって上旬、中旬、下旬それぞれ違います。民間では冬至の来た日とその日の天気の状況によってその後の天気を予想する風習があります。例えば、「冬至在月頭、要冷在年底;冬至在月尾、要冷在正月;冬至在月中、無雪也没霜。」(冬至は上旬にあたる場合は寒さは旧暦の年末にあり、冬至は下旬にあたる場合は寒さは旧正月にあり、冬至は中旬にあたる場合は雪も霜もない暖かい冬になるという意味です。)また、「冬至黒、過年疏;冬至疏、過年黒」(冬至の日には太陽が出なければ旧正月の日は必ず晴れ;冬至の日は晴れだったら、旧正月の日は必ず雨です。)桂林では「冬干年湿」(冬至は乾いたら、旧正月は湿る)と言う諺はそれと大体同じ意味です。これらの諺はよく当たったようです。今年の「冬至」は旧暦の11月の下旬に当たっているので寒さは旧正月(新暦の一月末ごろから二月ごろまで)にあります。
ほかに「冬至」に関わった面白い風習があります。昔、「入九」(冬至)に入ると、文人と士大夫(高い官職にある高潔な人)など九人は「九」の数字がある日を選び、その日になるとみんなが集まって一緒にお酒(中国語の「酒」は「九」と同じ発音です)を飲みます。席にはお皿もお碗も数が九に限っています。このようにみんなで酒を飲んで寒さを凌ぐことは「九九消寒」と言います。
その外、中国の民間には「九九消寒図」を書くことによって、寒い冬が速く終り、温かい春が早く来るように願う遊びがあります。例えば、「庭前垂柳珍重待春風」[庭前の垂柳は珍重に春風を待つ]と言う九字の詩があります。一字の画数は九で、九字は全部で八十一画で、冬至の日から書き始まり、一つの「九」を書くと一字が完成し、九つの「九」まで全部書きおわると、、春が大地に戻って来ます。それに、その日の天気によって、書く色が違います。晴れは赤、曇りは藍、雨は緑、風は黄、雪は白と言うようにそれぞれ書きます。同じことで、上句が「春泉垂春柳春染春美」下の句が「秋院掛秋柿秋柿送秋香」と言う面白い対聯を書くことは「九九迎春聯」と言います。
梅の絵を描いて、寒さを忘れて、早く春の来ることを迎える「九九消寒図」もあります。白い紙に枝が九本ある梅の絵を描き、、一本の枝にそれぞれ九輪の花があります。その日の天気によって花を書く色が違います。
以上は中国では冬至に関する風習を説明しましたが中国は広いから各地の文化と風習も違います。いちいち例を上がることはできません。
「冬至」の日になると、桂林の市民は前の日に片づけておいた鶏、家鴨、魚、豚肉を屋外に出して干します。
「冬至」入って、天気は寒くなり、乾燥するし、干す物は臭くならなく、特別お美味しいです。
腸詰用の一番いい肉は 豚肩胛肉(肩肉)だと言われています。
家鴨は平たい板のように加工されたので、桂林ではそれは「板鴨」と言います。
桂林では、干し肉を作る一番いい材料は「五花肉」だと言われています。これらすべては全部旧正月のため用意するのです。
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コメント(1)
作者:( 「ふれあい中国」)
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今日は、「冬至」ですね。1年中で最も夜が長く、昼が短い日です。本日は、米の粉を団子にして、茹で上げ黒餡子をつけて食べました。鴨の乾燥肉でスープを作り、その中に緑のえんどう豆(グリーンピースに似たもの)、ワンタンを淹れておいしくいただきました。写真にありますように、この季節は空気が乾燥していますので、干し肉、ソーセージ、燻製等作るには恰好の季節ですね。新年に向けて保存食として、客のもてなしに珍品として、いろいろ使い道があるのですね。広西に来初めて2年、書かれているような風習を初めて知りました。大変参考になりました。南宋の時代はどうだったのかと、臨安(杭州)で書かれた書物をひも解いてみました。周蜜著「武林旧事」には、冬至という説明でこのように書いてあります。抜粋しますと「朝廷大朝会庆贺排当,并如元正仪。而都人最重一阳,贺冬车马。皆华整鲜好,五鼓已填拥杂遝于九街;妇人小儿,服饰华炫,往来如云;岳祠,城隍诸庙炷香者尤盛。三日之内,店肆皆罢市,垂帘饮博,谓之“做节”。享先则以馄饨,有“冬馄饨,年钹饦”之谚。贵家求奇,一器凡十余色,谓之“百味馄饨”。」と。西暦1200年前後も今と同じように先祖を敬い馄饨を食べていたのですね。かたや日本の冬至の習慣は「南瓜」を食べて長生きするような習慣が残っています。この風習も福建浙江あたりから日本に伝承したのでしょうがね。詳しくは調べてみないとわかりません。明日、市場に行って南瓜を2個買って豚肉と一緒に煮て食べることにします。「楽群市場」で香菜と冬瓜も買いましょう。日本からの留学生と日本語学科の生徒も招きましょう。美味くできればいいのですが。