「姑娘節」―桂林市霊泉県九屋鎮の「江頭洲」村の特有な伝統祭り

2012年07月05日桂林の生活

七月二日、桂林市旅遊局に誘われて、桂林天元旅行社を代表して、桂林市霊泉県九屋鎮の「江頭洲」村で行われる「姑娘節」(未婚する女の子の祭り)に参加しました。「姑娘節」は「江頭洲」、「田尾洲」、「観里山」の三つの村の特有な祭りで、毎年の旧暦の五月十四日「江頭洲」、「田尾洲」、「観里山」の三つの村で共同で行われます。
「姑娘節」は旧暦の五月十一日から十四日までの四日間に行われます。十一日には「江頭洲」、「田尾洲」、「観里山」の三つの村の人々はみんな大掃除します。そして村の道を奇麗に洗い流します。翌日は村の人々は粽を作ったり、鶏と家鴨などのご馳走を用意したりして、「仙姑」(神様)を祭ります。そして「田尾洲」、「観里山」の村人が爆竹を鳴らし、花籠(新婦を乗せるこし)を担いで、近くの「東山岩」(孑兌姑が神様になった所)に行って、「仙姑」を迎え、「観里山」村にある「観里廟」まで送って祭ります。三日目は「田尾洲」、「観里山」の村人たちが輿で「仙姑」を「江頭洲」村の「五雷廟」まで担いで祭ります。十四日の祭りは一番盛大で賑やかです。その日には村人は親戚と友人を誘って、「江頭洲」村に集まり老若男女はみんなで「仙姑」を祭ります。各村の村の女の子たちは自分の織った織物を持ってきて、お互いに物の交換したり、技の交流したりします。年配の人は飴をばら撒いて、みんなを招待します。昼御飯を食べて、三時過ぎた後、みんなは「五雷廟」からスタートして、再び「仙姑」を「「東山岩」まで輿で担いで送ります。
伝説によると、明、新清時代に霊泉県九屋鎮の「江頭洲」村の一つの貧乏な家庭に女の子が生まれました。お父さんの「周老二」が女の子に「孑兌」という名前をつけました。「孑兌」は子供頃から賢くて、利口な子でした。八歳から機織りができました。彼女が織った布は丈夫で奇麗でした。家まで織り方を習いに来る村中の女の子たちに熱心に教えてあげました。そのほか、「孑兌」は家鴨アヒルなどの養殖をすることによって家族の生活のレベルをアップしました。「孑兌」は普段生活に困った村中のやもめ暮らしの老人たちにもよく手伝いました。その後、彼女は「田尾洲」村にいる勤勉で善良な「徐才良」という若い人と結婚し、夫婦二人が仲良く暮らしていました。ある日、「孑兌」は「東山岩」までアヒルを放し飼いに行ったきりで帰りませんでした。夫の「徐才良」が探しに行ったら、「東山岩」にすわって、彼ににこにこしている妻はすでに神様になりました。その日はちょうど「孑兌」の誕生日の日でした。勤勉、善良で、また賢い「孑兌姑」(後代の人が「孑兌」に対する尊敬ないい方)を記念するために、毎年の旧暦の5月14日に「江頭洲」、「田尾洲」、「観里山」の三つの村の人々が共同で行うようになりました。文革の間は一時中止されましたが、その後また恢復されました。
「江頭洲」の祖先は「姑娘節」を行うことによって、女の子を勤勉と善良のように教育するのではないかと思います。それは「真誠、和諧、積徳、行善、奉献」を提唱する「江頭洲愛蓮文化」にはよく合うことです。
江頭洲
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

村に入る時には熱烈な歓迎を受けました。
江頭洲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

村の周辺にはこんな花がよく見ました。花の中国の名前は「臭牡丹」といいますが、日本では「牡丹臭木」と言います。
桂林江頭洲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


桂林江頭洲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桂林市政府、桂林市旅遊局、霊川県政府および「青獅潭」鎮の政府のリーダーは江頭洲」の「姑娘節」に参加しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

村の老若男女はみんな揃いました。仙姑」を「「東山岩」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「仙姑」を「「東山岩」まで送る式が始まりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

村中の一番勤勉で、賢くて、そして心の優しい奇麗な子を選んで「仙姑」の役担当させます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

村人の家に入る瞬間、文革の時代に戻ったのではないかと迷ってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いよいよ昼御飯が始まります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


生活の息吹が溢れた長閑な庭でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 歴史の悠久さが感じられる奥深い「秀才巷」でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

村役所の門の所にはまだ文革時代のスローガンがまだ残っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 進士の「周紹劉」が書いた「子当父作馬、父望子成龍」(子供は父を馬として楽しく父の肩に乗りますが、父親は子供が将来出世するように望みます。)という詩は中国では非常に有名な詩です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「江頭洲」村の村人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「江頭洲」村の村人はみんな偉い人だけではなく、貧乏人もいたらしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

脱穀機はまだ使っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「聡明井」の井戸水を飲むと頭がよくなるそうです。頭がよくなるようにお母さんは子供に井戸水をどんどんと飲ませていました。
貞節坊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「江頭洲」村を離れる時、思いがけなく一つの「貞節坊」が見つかりました。
江頭洲貞節坊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

表には「氷清」と「玉潔」の字が刻まれています。
桂林江頭洲貞節坊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

江頭洲貞節坊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


裏側に「苦節」と「貞操」の字が刻まれています。
江頭洲貞節坊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント(3)

作者:( 「ふれあい中国」)

お客様からのコメント

1たなんこ2012/07/08 21:38返信

先日こちらのブログを見つけ、アップされる写真をとても楽しく拝見しています。 前月四川・雲南で地震があったというニュースを聞きましたが、被害は大きかったのでしょうか?教えていただけると嬉しいです。

  • たなんこ2012/08/01 18:39

    返信ありがとうございました。お父様のご冥福お祈りいたします。 9月に友人と九寨溝、黄龍に旅行を計画しています。引き続き、こちらのサイトを参考させていただきます!

  • 2012/07/11 17:07

    地元[たなんこ」さんこんにちは。コメントどうもありがとうございました。家に事情があって、実家の貴港市へ帰りました。返信が遅くなりまして、失礼しました。申し訳ございませんでした。前月四川と雲南で起きた地震の被害はそれほど大きくありませんでした。ご心配ありがとうございました。具体的な6月24日の15時59分に起きたマグニチュード(M)5.7の地震は雲南省麗江市寧蒗彝族自治県と四川省涼山彝族自治州塩源県の境を接する所にあります(シャングリラより約99キロ離れる)。今回の地震で寧蒗県の3が死亡、20人が重傷、82人が軽傷、及び14000軒の家の損壊などの損害が受けたそうです。また、の電力と通信はある程度の影響もされたそうです。状況は次の通りです。

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