陽明祠
陽明祠は貴陽市の扶風山にあり、清の嘉慶十九年(1814年)に建てられ、隣にある尹道真祠、扶風寺と合わせ扶風山風景区となっています。
陽明祠の歴史を振り返ってみると、王陽明の話になります。王陽明は名を守仁、字を伯安、号を陽明と言い、死後の贈り名は文成です。明の武宗の正徳元年(1506年)に南京兵部主事であった王守仁は冤罪の人たちを助けようとし宦官を怒らせ、貴州の龍場(今の修文県)に左遷されてしまいました。その後、骨身を惜まず儒学の研究を続け悟りを開き、学説を構築しました。当時の腐ってきた学風に反対し、「知行合一」(知ることと行うことが一致する)を主張し、「良知に至る」心学を創立し、弟子を教え、講義し、書を著わし、三十八巻の「王文成公全書」を世に残しました。明代中期以後、陽明学派は大きい影響を及ぼすことになり、儒学の最後のピークと言われています。その学術思想はまた海外へも広く伝わっており、特に日本の明治維新時期において思想の変革を促す役割を果たし、今でも東京大学、早稲田大学などで陽明学の研究が行われており、日本には関連ある出版物が数十種もあります。陽明祠を見学する価値が非常に高く、中には日本人が建立した詩碑も立っています。