海口の文化
海口は海南省の省都で、全省の政治、経済、科学技術、文化の中心地である同時に、最大の交通ハブでもあります。北宋時代から、既に千年近い歴史を有する文化名城です。昔から中国南国境の海陸交通の要衝地で、重要な港商埠です。人口の移動、民族と言語の融合、独特な多元文化を作り上げました。
媽祖は中国東南沿海を中心とした海神で、天聖母、天後、天後娘娘などとも呼ばれています。媽祖は人々が母親のイメージの神を創造し、母親への愛を媽祖に集めました。媽祖後祀奉の最も原始的な祭祀式は漁民と航海者が船や宮廟で媽祖の神像を祀り、航海の安全を祈る家庭的な祭祀でした。その後、媽祖は海上の女神として尊ばれ、歴代の船頭、船員、旅客、商人と漁民が共に信奉した神となり、海口の媽祖祭祀は元の時代から民間で形成され、今では700年余りあります。今までの中山路天后宮でいつも大規模な香会で賑わい、数百年に渡って衰えていない祭祀行事が、媽祖の誕生日や忌日になると、神遊びやお芝居など祭りを行います。
海口騎楼老街は、海口市の最も特徴的な街並みの景観です。中では最も古い建物である四牌楼は南宋に建てられ、700年以上の歴史をもちます。海南独特の強い日ざしと雨が多い気候条件のため、1395年、海口の外砂一帯に市場街が建設された時、既に雨を遮ることができる長い廊下式の「排店屋」が出現しました。1930年以降、南洋下りの雰囲気が海南で流行、異郷で大金を稼いだ後、帰国しました。南洋思想を持ち帰ったと同時に、海南にも南洋様式の西洋式建築物が多く出現しました。白い騎楼の建築は濃厚な中国古代の伝統的な建築の特色があり、また西方の建築に対する模倣もあり、またインドとアラブの建築文化の影響を受け、これらの独特な建築様式は1つの騎楼を形成し風景絵となります。