額尓古納河

   額尓古納河は黒竜江の上流である克魯倫河が呼倫湖に流れた後、初めて呼ばれた川のことを指して言います。モンゴル帝国時代と元の時代に中国の内陸にある川でしたが、1689年にロシヤと「中ロ尼布楚条約」を結んだあと、中国とロシヤとの国境線になったのです。海拉尓河を主な支流とする額尓古納河は長さ970キロメートルあります。

 

   額尓古納河は《旧唐書》で「望建河」と呼ばれ、《モンゴル秘史》の中で「額尓古涅河」と呼ばれるようになりました。その後、《元史》と《明史》の中でそれぞれ「也里古納河」と「阿魯那幺連」と呼ばれたことがありました。

 

   15万平方キロメートルに達する額尓古納河流域は四つの台湾島の大きさに当たります。額尓古納河の右側に広がる山岳や森林地帯はチンギスハンの故郷と言われており、1206年に彼がここで「大モンゴル帝国」を建国した後、モンゴル族の騎兵隊を率いて長年にわたる戦争によりアジアとヨーロッパを跨るほどの帝国の誕生に漕ぎ着けました。

 

   チンギスハンが建国した前に、額尓古納河流域が彼の母親系の氏族の遊牧地でした。13世になりチンギスハンの実弟の領地に分けて与えられました。清の末期から中華民国初期にかけて額尓古納地区は吉拉林設治局と室韋県と奇幹県を設けて黒竜江省に所属されました。満州国時代に室韋県と奇幹県を興安省の管轄に収めました。1945年以後、呼倫貝尓自治地方政府の所轄でしたが、結局モンゴル自治区の所属に変わりました。新中国が成立してから額尓古納旗を設けてその後、額尓古納左右旗に分けました。最後に、額尓古納市に定着しました。

 

   額尓古納市から北に30キロ離れたところに、歴史に名高い名声を残した貴族の部落とされた弘吉刺部という名前で命名したモンゴル式ゲルのキャンバスがあります。ゲルの名前がそれぞれ皇室に嫁いだ公主たちの名前で名付けられたものです。モンゴル式ゲルのキャンバスは現在、地元の有名な観光施設となり、モンゴル族やダオール族、オウンク族、ロシヤ族などの民族風情を一本化させて観光客に公開しています。例えばここでモンゴルの力強い節回しが楽しめるほかに、ロシヤ族の舞踊やなども見ることができます。さらに馬乗りやアーチェリーなどの伝統的スポーツも体験できます。

 

   額尓古納市に行くと、激流河での漂流コースも人気があります。大興安嶺から流れてくる激流河が水質がきれいであり、気分転換にかけがえのないコースだと言えます。「アジア最大の湿地」と言われる根河湿地が一見の価値もあります。根河の川下りは最も魅力満点であり、果てしなく広々とした大草原に恵まれたうえ、静かに流れる船に任せていくことが今までの悩みや憂鬱を忘れてしまうほどです。

 

   ほかに、額尓古納地域の観光スポットとされたのが莫尓道?国家森林公園にある「一目九嶺」(一目でも九つの山が見渡せる意味です)と「偃松幽境」(やく1900ヘクタールにも達する五葉松林の中を散策する小道のこと)、「熊谷」(敷地面積やく2400ヘクタールにも及ぶ各種の野生動物、特に熊や猪が出没することから命名した)はあります。最後に海拉尓松を主体とする西山国家森林公園、烏尓旗漢国家森林公園、竜岩覧勝、九曲松風などがあります。