好太王碑
碑文によると、この碑は好太王の業績を称えるために息子の長寿王が414年旧暦9月29日に建てたものである。のち1880年頃に清の集安の農民により発見され、翌年関月山より拓本が作成された。1884年には陸軍砲兵大尉の酒匂景信が参謀本部に持ち帰り解読した。1961年、洞溝古墓群の一部として、全国重点文物保護単位に指定された。
好太王碑は現在の吉林省集安市の好太王陵の近くに位置している。碑は、高さ約6.3メートル・幅約1.5メートルの角柱状の石碑である。その四面に総計1802文字が刻まれ、碑文は純粋な漢文での記述となっている。碑文は風化によって判読不能な箇所も存在する。なお、2010年現在、この碑文は風化・劣化を防ぐためにガラスケースで保護されている。
碑文は三段から構成され、一段目は朱蒙による高句麗の開国伝承・建碑の由来、二段目に好太王の業績、三段目に好太王の墓を守る「守墓人烟戸」の規定が記されている。