クンジェラブ峠

クンジェラブ峠はカシュガル地区に位置し、タスクルガンタジク自治県から125km離れています。1981年9月に中国とパキスタンと両国政府が協議して正式にクンジェラブ峠(門戸)を開くことになり、1982年8月27日にクンジェラブ峠が初めて中国・パキスタン両国民にも開放する運びとなりました。さらに1986年5月1日には第三国に正式に開放され、国の許可が下りた対外に開かれたAクラスの門戸となりました。クンジェラブ峠はかつて古代シルクロード上に位置していた関所で、西はインド、中東アジア、そしてヨーロッパにまで繋がっています。ここは中国とその周辺の国や地域間の貿易?文化交流を行ってきた場所といえます。
ここは世界でも海抜の最も高い国境地帯の玄関であり、平均海抜は5000m、酸素の含有量は通常の50﹪以下で気温も-40℃まで低下することもあります。この地はこのように地理的な状況が悪いことから「死亡の谷」という別名が伝えられています。またクンジェラブ峠を描写した「万山に積雪が溜まり、積雪が万山を押さえる」という言葉も残されおり、風雪などの劣悪な天候に見舞われた遭難事故が昔からあとを絶ちませんでした。唐の時代に三蔵法師がインドを訪れる前に、1万人に及ぶキャラバン隊が暴風雪によって遭難し全員が凍死したと記録されています。そして、今でもその地で眠るキャラバン隊の品物の探索が行われています。

クンジェラブ峠の周辺で生活しているのは主にタジク民族で、彼らは「天上の住民」と称されています。タジク民族は半分が定住、もう半分が遊牧という形で生計を立てており、春になると寒さに強い穀物の種を蒔いて、秋になると収穫に戻ってきます。この地のタジク民族の村落に入ると綺麗な民族衣装を身に纏っている女性が観光客を迎えてくれます。またタジク民族独特の文化習慣や美味しい料理を楽しむことができます。特に「叨羊」(馬上で羊を奪い合う)は地元タジク民族の代表的な行事として長い歴史を持っているゲームで、参加者がお互いに馬術などを競いながら、男性の勇気と力も誇示するものとされています。また、このゲームを通じて男女の恋にも繋がり、若者の間に人気が集まっています。実力で羊を奪い取り、勝利を勝ち取った男性が自分の好意を寄せる女性の前に持っていくことが好意を示すしきたりとなっています。