マフムード・カーシュガリーの墓

マフムード・カーシュガリーの墓は新疆ウイグル族自治区疏附県にあるウパエル卿に位置し、カシュガル市から45km離れています。墓の上部はアーチ型で隆起して周囲を土で固められています。生い茂る緑の中に隠れる墓はとても素朴な佇まいをしています。

1008年に生まれ、1105年に亡くなったマフムード・カーシュガリーは11世紀を生きたウイグル族の著名な言語学者及び学者としてよく知られています。コラカン王朝に属する貴族の家庭に生まれた彼は、朝廷の権力闘争に巻き込まれて父兄ともに殺害されました。命からがらで難を免れたマフムード・カーシュガリーはウイグル語などの研究に専念するようになり、長い間にわたる調査や研究を積み重ねた成果として1076年にアラビア語で『テュルク(突厥)諸語集成』を完成させました。『テュルク(突厥)諸語集成』はアラビア語で記された世界でも例を見ないもので、内容も豊富に記され、初めから終わりまで構成がしっかりまとめられ、見出しもはっきりしています。ここに収められた語彙もきわめて多いことから、テュルク民族について書かれた百科事典とも呼ばれています。また、中東各国における歴史、地理、民族習慣、社会生活、文学芸術などを研究の上で高い価値があるとされており、同時にテュルク語系を使用する各国の歴史、地理、民俗などを研究のための貴重な資料となっております。『テュルク(突厥)諸語集成』は現在までに10余カ国、合わせて10種類以上の文字で翻訳・出版され、世界文化芸術宝庫の宝物として保管されています。

マフムード・カーシュガリーの墓は1985年に1度修築されたことがあり、東側にはモスクが隣接しています。このモスクを訪れてくる人々には近くに住んでいるイスラム教信奉の村人や遠くから訪れた観光客もいます。陵墓の北側には文物陳列室があり、中に大辞典とマフムード・カーシュガリーの生涯を紹介する資料や書籍などが多く収められています。そして陵墓の前には清水が湧き出る泉があり、地元では「神様の泉」と称されています。この泉には1本のポプラが高くうっそうと生い茂っています。ポプラの幹が枯れかけており、力強く年月の流れを感じさせます。このポプラの木は「陵墓の一大奇跡」と呼ばれています。

マフムード・カーシュガリーの墓は、古くから新疆ウイグル族の人々から仰がれてきたものであり、イスラムの学者たちは、普段から自分の好きな書籍や著作を陵墓に持ち込んで記念物として捧げていきます。その結果、いつの間にか陵墓がユニークな図書館のようになっています。そこで地元では、マフムード・カーシュガリーの墓に敬意を示し、「ハイズリティ・モラム(尊敬する学者の墓)」を讃えられています。