アパク・ホージャ墓(香妃墓)

アパク・ホージャ墓(香妃墓)はカシュガル市から東に5kmの地点に位置し、新疆ウイグル族自治区の重要文化財に指定されています。敷地面積は2ヘクタールに達し、17世紀、カシュガルの政治?宗教の実権を握っていたマホメットの末裔とされるホージャ一族の墓とされています。また、イスラム教の代表的な建築群及び著名イスラム聖職者の墓として昔から知られています。資料によると墓には5世代にわたる一族72人がここに葬られていますが、実際に発見されたのは58人分の墓だけです。その中の第1代目の墓にはイスラム教を布教した宣教師・ユスフホガの遺体が、第2代目の墓には長男のアパホコガの遺体が保存されていました。父のイスラム教布教の遺志を受け継いだアパホコガはカシュガルにおけるイスラム教のイシャン派を確立して布教活動に従事し、父のユスフホガより大きな功績を立てたことから、地元の人々からを讃えられています。さらに彼らの末裔の中には清王朝の乾隆皇帝の妃になったパエルカンという名の女性もいて、アパホコガの孫に当たるといわれています。この女性は体から麝香(ジャコウ)の香りがすることから「香妃」と呼ばれていました。彼女が亡くなったあと、アパホコガの墓に埋葬されたことから人々はこの墓を「アパク・ホージャ墓」と呼ぶようになりました。しかし、考古学者の調査によると「香妃」はこの墓に埋葬されたのではなく、河北省の遵化清東陵にあるといわれています。

アパク・ホージャ墓は立派な宮殿のような造りで、全体の高さは40m、アーチ型の玄関、小礼拝堂、大礼拝堂、教経堂、お墓の5つの部分から構成されています。アーチ型の屋根の上には精巧に作られたミナレットが高く聳えており、その先には三日月形の金の装飾が施され、太陽の光を受け輝き姿はムスリムの人々の礼拝の的となっています。主要建築とされるこのホールは、天井が高く天窓から差し込んでいる光で室内は大変明るく見えます。ホール奥には1m以上のバルコニーが設けられ、そこに「香妃」を含めた5世代にわたる72人の一族の墓が58基並べられています。「香妃」と呼ばれた墓は北東部に位置しており、墓前には漢字とウイグル文字で彼女の名前を刻んであります。すべての墓は青色のガラス製煉瓦で築かれており、色鮮やかな絵柄の布が掛けられています。これは死者に対する尊敬の意を表すだけではなく、墓を守護する働きあると言われています。一族全員の墓を収めたホールの左側には立派な礼拝堂が2つ並んでおり、裏側には広い墓地が設けられています。

アパク・ホージャ墓は築かれて300年以上の年月が経ったにもかかわらず、かつてのままのイスラム教精神に基づく建築様式を守り抜いてきました。訪れた人々はロマンチックに伝えられた香妃を偲ぶ人もいれば、アパホコガの墓に表れるイスラム教に纏わる建築技術の精巧さや建築様式の独創性に魅了されます。