ユスフ・ハス・ハジブ墓
ユスフ・ハス・ハジブ墓(玉素甫・哈斯・哈吉甫墓)は11世紀中期にウイグル族で最も名高い学者、詩人、そして思想家としてよく知られていたユスフ・ハス・ハジブの墓で、敷地面積は965?あります。1019年に生まれたユスフ?ハス?ハジブはカラハン王朝時代、1070年にアラビア文字を使って13000行からなる長編叙事詩である『福楽智慧』を書き上げました。この長編叙事詩は豊富な内容を美しい言葉で、当時のウイグル族の人々の間で人気が高まりました。『福楽智慧』は当時の政治、経済、文学、歴史、地理、医学、数学などの広い分野にわたり網羅された大型の歴史的文献だといっても過言ではなく、ウイグル族と新。また、後世の文学にも強い影響を与えたとして国内外の学者から高く評価されています。
ユスフ・ハス・ハジブは1080年に亡くなり、最初、彼の墓はカシュガル市東南部にあるトマン河の畔に営造されました。その後、16世紀中期にヤルカンド汗国第二代君主?アブドリシティ汗が新たに「アルスワロールーク」(皇族の陵墓)に移動させ、現在のカシュガル市体育南路に位置しています。そして、元の墓の大きさをベースに拡張させて、現在の規模のお墓となりました。しかし、かつて自治区の重要文化財として指定されたユスフ・ハス・ハジブ墓は文化大革命時代に取り壊されてしまい、1978年に修復作業を行い、もとのデザインと建築様式を復元させることに成功しました。
ウイグル族のユニークな建築文化を見事に反映したユスフ・ハス・ハジブ墓を始めとする陵墓建築群は正面玄関が南向きで、園内は中心地にある中庭のほかに、東部と西部に分かれています。西部には巨大なアーチ型の屋根に覆われている礼拝堂があり、その天井には美しい模様が施され、その後ろには祈祷室が設けられています。東部にはユスフ・ハス・ハジブ墓が安置される建物群があり、目の前には高さ9m、広さ8m、幅3mの立派な玄関が構えています。奥に入るとユスフ・ハス・ハジブ墓のホールになります。ホールの外観は長方形で、アーチ型の緑色の瑠璃瓦の天井で覆われています。また、外から見るとアーチ型の中心部に高さ11mのミナレットが設けられています。ホールの中心には色鮮やかな瑠璃瓦でデザインされたのがユスフ・ハス・ハジブの墓が安置されており、ここが偉大な詩人が永眠する場所となっています。
ユスフ・ハス・ハジブ墓の建築群の全体配置は一風変わったもので、整然としながら厳かな雰囲気を醸し出し、ウイグル族らしい建築様式に包まれています。特にユスフ・ハス・ハジブ墓が安置されているホールのミナレットやその他10本余りのミナレットは高低差のある起伏の勢いを表現し、つながっているように排列され、このような楼閣の排列は新疆ウイグル族自治区でも非常に珍しいものとされています。そして、墓室の壁は青い下地に白い瑠璃瓦で重ねられ、礼拝堂を支える柱にも古風な彫刻が装飾されています。これらの建築芸術はイスラム教を巡る分野においても珍しく、古代ウイグル族の素晴らしい才能や知恵、その技術を体現しているといえます。