公主堡

公主堡は新疆ウイグル自治区タシュクルガン・タジク自治県にあるタブタ郷から南に10kmほど離れたところに位置する古代城堡です。公主堡がある山の一部では地勢が険しく登ることが困難であるとされており、北はカピス嶺に通じ、海抜は4000mに達しています。かつて、天山山脈の南に位置する重要なシルクロードの関所であったとされています。また、約1200年前の唐の時代の三蔵法師がここを通った時、次のようなロマンチックな物語が伝えられています。

昔、ボリスという国の王が美しい漢民族の皇女をお嫁にもらうことを約束されていました。花嫁である皇女一行を迎えた護衛隊がこの山の麓に辿り着いた時、周辺で戦乱が起こったという知らせを受けました。護衛隊はこの土地の険しい地形を選び、しばらく皇女を休ませて、安全な避難所として利用することを考え、早く戦乱が収まることを願いました。その間に険しい山の斜面に防御用の砦を建造し、皇女の周辺に厳しい警備が敷かれ、いかなる者も皇女の住むこの砦に入ることは禁じられていました。しかし、不思議なことに三か月の月日が流れた時、皇女に妊娠の噂が広がりました。護衛隊の人々はみな慌てふためいていると、皇女の侍女が皆に告白し始めました。侍女の話によると毎日正午になると、1人の若者が太陽から馬に乗ってきて現れ、よく皇女とおちあっていたというのです。この話を聞いても護衛隊の人々は半信半疑で、これだけでは自国に戻り王に報告することはできないと思い、仕方なくこの険しい山の上に城を築き、皇女の出産を待つことにしました。その後、皇女は子供を出産し、最後にはその子供を国王に擁立することになり、この一帯を治めた立派な国王になったと言われています。この国王は母親が漢民族で、父親が太陽であることから、「漢日天種」の別名を自称していたそうです。この話は三蔵法師の記した「大唐西域記」にも掲載され、公主堡は「皇女の砦」の意味をもっているのです。

現在に至るまで保存されている砦の遺跡の南側には、長さ150m、高さ10mの土や木の枝で積み重ねて構成された土塀があります。砦の中には人が居住したとされる遺跡が13か所も存在したと推定されています。この砦は歴史学上では軍事的な目的をもったものとされ、古代シルクロードの安全を守るためのものだったのではないかと分析されています。

しかし、この皇女を巡る物語は実にロマンチックな色彩を帯びた伝説として、今まで多くの探検家や歴史学者を魅了してきました。そして歴史の謎をひも解くように永遠に人々の興味をそそり、公主堡はますます人気の高い観光スポットとして整備されています。