石頭城遺跡

石頭城遺跡は新疆ウイグル族自治区タシュクルガン・タジク自治県の北東部に位置し、「タシュクルガン」とは「石頭城遺跡」を意味しています。敷地面積は1万㎡の石頭城遺跡は、中国三大石頭城遺跡の1つに数えられ、標高3112mの高台に築かれた石頭城遺跡は地理的にも峠のような場所に切り出て、かつて東西の交通の要衝に当てられていました。このため歴史的にもシルクロード上にある最も重要なランドマークのような存在であり、パミール高原周辺の文化的象徴とされています。

漢の時代、この地は西域にある36ヵ国の1つである蒲犁国の都として機能していました。そして、大規模な城郭の工事が始まったのが6~7世紀であったとされています。唐の時代、西域36か国が唐に統一された後、軍事と行政を司る管理機構である葱嶺守捉所を設置され、元の時代になると城郭がさらに拡張され、古い城郭は新たに建造し直されました。清の時代、光緒28年(1902年)には、王朝によってこの地に蒲犁庁を設け、それまでの城郭の修繕や増築されました。このように歴史の中で常に重用され、時と共に残されてきました。石頭城遺跡では唐の時代に流通したと考えられる古銭や田文書が出土しており、1954年にはタジキスタン自治県の首府に指定されていました。石頭城遺跡は約1300年前に築かれ、悠久の歴史が伝わっているだけでなく、複雑な建築技術や頑丈な構造にも注目されています。また、その面積も当時のものとしては驚くべきものだと言われています。このことにより石頭城遺跡は国内外で歴史的遺跡及び観光ポイントと知られています。現在では新疆ウイグル自治区の重要文化財に指定されています。

石頭城遺跡は外城と内城に分かれております。外城の大部分は倒壊してしまし、地面に露出した城壁や民居、大砲の台座などが残っているだけです。しかし、内城の保存状態はよく、かつての町に溢れていた賑やかさや威厳を彷彿しているように感じられます。内城は山の麓から続く勾配に従い斜面の土にへばりつく様に築かれています。遠くから眺めると整然とした荘厳さを感じさせてくれます。特に城壁の上に出来た楼閣は一際高く見え、周囲を見下ろせる形の構造をしています。この楼閣は姫垣、見張り台、大砲の台座からなっており、すべて石で作られています。また、城壁の上に防御用の武器として運んできた石が並べられていた痕跡もあります。

内城の内部には宮殿を始めとして政府官庁、将軍や役人の邸宅、仏教寺院などが建造され、並んで配置されていました。現在、これらの建築物は残されておらず、壊れたり潰えたりして残った建物の残骸しかありません。また、陶器片、毛布、シルクのほかサンスクリット語で書かれた貝叶経が発見され、この経文の書式から3~8世紀にかけて使用されたものとされています。

石頭城遺跡の周りには一面に草原が広がり、川瀬に眩しい太陽の光が照らされて輝いています。周辺に点在しているタジク民族のユニークな円形のテントや褐色に染められた山間など、長閑な景色を演出しています。白い雲が浮かぶ青空の下には放牧された家畜もおり、石頭城遺跡の雄大な歴史のロマンと相対して、自然の穏やかな様子が広がっています。