金胡楊国家森林公園

金胡楊国家森林公園は新疆ウイグル族自治区澤普県から南西に40km離れ、ゴビ砂漠に囲まれた地点に位置します。ヤールカンド河の水に育まれた沖積平野が周囲の高い山々に囲まれており、美しい景色が広がっています。金胡楊国家森林公園が属する澤普県の「澤普」という言葉は「人々に隔てなく恩恵をもたらす」という意味であり、ウイグル族の言葉から解釈すると「黄金とともに流れる川」という意味になります。これは、ヤールカンド河の畔に生い茂るポプラ(胡楊)の樹木が秋になると綺麗な黄金色に染まり、ヤールカンド河の水面にその景色が美しく映えることが由来となっています。そして現在では、「金胡楊国家森林公園」と名付けられています。

金胡楊国家森林公園の敷地には1200ヘクタールのポプラの木があり、干害やアルカリ性の土壌に強い土地を形成しています。夏になるとうっそうと生い茂り、秋になると絵に描いたような黄葉広がる木々からは特別な趣きを感じられ、「黄色いポプラ、緑のオアシス、透明な川の水、果てしない砂漠、白い積雪の山々」といった様々な自然の題材が揃った新疆大陸ならではの景観を作り出しています。現在、金胡楊国家森林公園は中国西部においても重要な公園に位置し、中国4A級の観光地に指定されています。

この公園の高台に登ると、まるで巨大な緑のカーペットを敷いたような光景が広がります。また、ヤールカンド河に沖積された紡錘状の半島は「ヤストン」と呼ばれ、ウイグル族の言葉では、「彼を静かに寝かせよう」という意味を持ちます。記録によると、かつてコラカン王朝の王子が率いた軍隊が異教徒の仏教信者を征服しようとこの地に到着した時、待ち伏せしていた仏教信者の部落に狙撃されて命を落としてしまいました。王子の遺体はそのままこの地に埋められ、その後コラカン王朝の軍隊が于田を攻め落し、王子様の遺骨を持ち帰ろうとした時、「すでにここに眠っている以上、このまま寝かしてさし上げた方がよい」と助言者の言葉が出ました。それにより、王子を始めとして宗教戦争で戦死した人々の墓地は、「タルムードアリの古墓群」と呼ばれています。この古墓群の近くには漢の時代の仏教伝授者が残した遺跡があり、歴史の証明となる記録が明確に残されています。このように金胡楊国家森林公園には古くからイスラム教と仏教の衝突や融合が起きた波瀾万丈の歴史があり、厚みのある文化遺産を作り出しています。

金胡楊国家森林公園内には、樹齢1000年以上の新疆ポプラがあり、地元では神木として敬われています。また、公園に入るとよく手入れされた芝生と日差しを遮る逞しい大木に覆われて、爽やかで気持ちの良い雰囲気が広がり、四季折々に風情が移り変わっていきます。春は新緑とともに、小鳥の囀りが聞こえ、夏は様々な花の清い香りが周囲を包み、人々を魅了します。秋は黄色に染まったポプラの木々の間を爽やかな秋風が流れ、冬は辺りが無辺の銀色の世界に変わります。

他にも植物園や動物園、ゲル、湖心亭、水上楽園、玉石探索などの施設が設けられています。また、昔からここに住んでいる民族、ウイグル族、タジク民族など合わせて19の民族が共にパフォーマンスを行い、それぞれの得意な音楽と舞踊を披露しながら民族の平和を謳歌しています。同時に各地からこの地を訪れた人々に金胡楊国家森林公園の数々の魅力の伝えています。