藏王墓
藏王墓は山南地区琼結県琼果区に位置し、7~9世紀における吐蕃29~40代の国王、大臣、王妃の陵墓群で、チベット最大規模の皇陵です。最も有名なのはソンツェン・ガムポ(松賛干布)墓と相隣するティデ・ソンツェン(赤徳松賛)墓ですが、9世紀末に行われた奴隷蜂起時に賛普の陵墓は全て壊され、現在残されている藏王墓は当時の衣冠塚に属していました。
陵墓群の総面積は約1万㎞²で、各陵墓は地表から約10m高く積み上げられ、遠くから見るとまるで連綿とした小山のように見えます。河の近くに位置しているのはソンツェン・ガムポの陵墓で、墓の門は釈迦牟尼の故郷である南西方向に開かれており、お釈迦様への敬意を示しています。陵墓の上には祠があり、松賛干布と文成姫の塑像が祭ってあり、この場所は墓守の居所にもなっています。史料によると、陵墓内は5つの神殿に分けられ、内部にはソンツェンガムポ、釈迦牟尼、観音の塑像が祭ってあり、ほかにも大量の金銀、真珠、瑪瑙など副葬品があります。陵墓の左にはソンツェンガムポが出征時に着ていた金の甲冑が埋められ、右には純金でできた騎士と軍馬がソンツェン・ガムポの侍従として埋められたと記されています。水土流失と流砂によって、山に隣接した陵墓は丘陵と合わさってしまい、現在でははっきり分かりませんが9つの陵墓だけが確認されています。
藏王墓の前には墓を守護する2体の獅子の石像と2つの石碑が今でも残されています。その中でも1984年に発掘された赤松徳賛の石碑は高さ7.18mで、表面には雲龍、四蛇、飛天、日月など図案が彫られ、ティデ・ソンツェンを讃える59行の古代チベット語の文が刻まれています。彫刻手法は唐の時代の特徴が顕著に表れ、シンプルな形状と生き生きした表情が特徴です。
藏王墓は千年以上前のチベット葬儀制度を反映しており、同時に吐蕃王朝の出現から興隆、衰退までの歴史と吐蕃文化と唐文化の交流に関連した研究において重要な価値を持っています。