火焔山
火焔山は新疆ウイグル族自治区のトルファン盆地の北側に位置しており、昔の書籍に「赤石山」と記されたことがありました。具体的な場所が東の?善県にある蘭乾流沙河から西の桃児溝かけての範囲に広がり一匹の巨大なドラゴンのように東西をまたがって見えます。火焔山は真夏になり太陽に照らされますと赤々と見える地面から陽炎が立ち上り、まるで炎が燃えるようになることから名づけられました。地元のウイグル族の言葉で「紅山」といいます。火焔山は東西の距離がほぼ100キロに及び南北が9キロほどになります。平均高さが500メートルに達し、最高峰が831Mほどあります。
火焔山は天山山脈の東にあたる博格達山脈系に所属する褶曲山脈です。ヒマラヤ山脈の造山運動で形成された火焔山は最初に形作ったのが1、4億年前だったと考えられています。そして基本的な地理的風貌に定着したのがおよそ1、41億年前のことだったと分析されています。ここが遥かに長い地質的年代を経過したとして引き続き、ジュラ紀、白亜紀及び第三紀という幾つかの年代を歩んできました。火焔山は赤色砂岩や礫岩、泥岩などにより構成されています。長い年月にわたり水の浸食にされたりして表面に数多くの溝が現れました。一年中、岩石だらけの表面には木々が生えるどこらか、草が一本も生えないほどです。これが火焔山の素顔そのものです。特に真夏になり、じりじりと太陽に照らされますと地面の気温が47度以上に上がり、極端に80度まで上がる時もあります。そのために火焔山は中国の一番熱いところだと言われています。
火焔山は古くから中国でよく伝えられたところでした。中国の明代の呉承恩の著作した古典小説である《西遊記》で物語りとして既に描かれたことがありました。物語によると、ある日、三蔵法師一同は西天(天竺『てんじく』])へ経文を取りに行く途中、火焔山に差し掛かりました。あまりにも熱い火焔山に阻止されてどうしようもなかったのでした。そこで例の孫悟空が鉄扇公主に火が消し止められる「芭蕉扇子」を貸してくれるように頼んだのでした。孫悟空は本領を生かしてすぐには貸してくれない鉄扇公主を降伏させてしまったということでした。更に物語によると、これより500年前とされた孫悟空の天宮で大暴れした時に、太上老君の煉丹炉(道教では不老不死に使う丹薬を練る壷のこと)が崩れたと描かれており、そして崩れた煉丹炉の一部が今の火焔山に化けたという物語も続いていました。
気温の高い原因なので、火焔山の辺りに建てた住宅は普通半分が地下に入り、半分が地上に出ています。しかも建築材料として熱の発散しやすい日干し煉瓦が使われています。それにこの辺はミイラ―がよく見つかる場所として有名です。今まで清代のものとされたミイラ―が発掘され話題を呼んでいます。
火焔山は現在、新疆ウイグル族自治区の重要な観光ポイントとなり、毎年何百万人にも上る観光客が孫悟空の物語りを頭に浮かべながらここを訪れてくるのです。地元の観光当局では火焔山の体感温度を鮮明に観光客に分かってもらうように孫悟空の武器とされた「如意棒」に象る温度計を大きく作り、観光地のイメージのようになっています。更に1989年、火焔山のイメージをアップさせようと《西遊記》に因む三蔵法師などの彫刻像を生き生きとして造ることになりました。観光客が巨大な火焔山と三蔵法師などの彫刻像をいつもバッグに記念写真を撮るのも楽しみの一つとなります。