郡王府
郡王府は新疆ウイグル族自治区のトルファン市から2キロ離れた魯克沁鎮に位置しており、有名な蘇公塔にも近いです。郡王府の土台として1580年に初めて造られたと考えられています。史料によりますと清の初期、額敏和卓が乾隆皇帝に王位を授けられた後、1775年に元の建造物をベースに本格的な王府を目指して大規模な工事に乗り出したというとこです。
敷地面積が約15000平方メートルに達している郡王府は高さ15M、横57M,縦40Mに及ぶ土台の上に築かれたものであり、合わせて100軒以上の部屋から構成されています。宮殿などを巡る建物の面積が約2500平方メートルに及んでいます。中には議事堂、応接間、母屋、モスク、兵営、馬屋などが設けられました。
前後300年の歴史を持つ郡王府は当時、トルファン郡王である額敏和卓が政務に務めたり、生活したりした所として使われました。更に清の初期に当たり、軍事を指揮する大本営として郡王府はトルファン地区の政治や、経済、文化などの中心的な存在だったと認められました。額敏和卓はトルファン地区に住むウイグル族の首領だけでなく清の政府の参政大臣でもありました。また彼が歴史において優れた軍事家と愛国者だったと評判されています。
残念なことに歴史に立派なプレゼンスを示した郡王府は1933年に地元軍閥の盛世才に放火されて無くなりました。現在の郡王府は歴史の資料に基づき、イスラム教関係の風格や規模、構図などを再現して復元されたものです。特に郡王府の玄関と周囲を巡らした壁が風変りな感じがあると言われ、厳かなムードに包まれたうえ、古めかしい色彩も帯びて人々の目を引きます。郡王府の中に入ると、宮殿を構成する部屋があわせて数十軒も数えることができ、天井やアーチ型の廊下、階段、手摺り、軒下などがすべてイスラム教関係の精緻なデザインや模様により上手に装飾されています。また必要な石膏のパーツを使い、最大限にウイグル族らしい建築特徴を作り出そうとしています。
郡王府を装飾する美しいウイグル族の建築様式、特に土木建築の構造が精緻かつ細かい彫刻技術に見られています。逞しいレリーフ図案も用いられることにより、ウイグル族の一代の郡王の豪華さを際立たせます。中で注目すべきものは洞窟式住居です。これらの住居の建築様式や配置が夏が涼しくて、冬が暖かいという特質が目立ち、乾燥したトルファン地区に最適です。
郡王府は全体的に漢民文化や中央アジア辺りのイスラム教の文化要素を融合して見事に再創造した建築物の傑作です。ここを訪れた歴史学者、カメラマン、観光客、建築愛好家などが古い歴史に思いを馳せるのにうってつけです。
郡王府は周囲に緑の葡萄棚に囲まれており、長閑な環境に恵まれることから観光客にとってかけがえのない撮影の場所として親しまれています。ここが地元の民族舞踊を鑑賞し、宮廷料理を楽しむ場所でもあります。
郡王府は、32集のテレビドラマの《吐魯番郡王》のロケーションとして使われた場所です。このテレビドラマを造るために半年以上掛かりで、ここで大規模なロケーションを展開したということです。