蘇公塔

  蘇公塔は「額敏塔」とも呼ばれ、トルファン市から西南に2キロ離れた木納村に位置しております。清の初期に朝廷の名将だった額敏和卓郡王は乾隆皇帝のご恩に報いるとして更にアラーに対する真心を示す目的から立てたものとされます。額敏和卓郡王は自分の功績を後世にも残ろうとして自ら7000両の白銀(当時の通貨名称)を費やし、工事を始めることになりましたが、残念ながら工事が終わらない中、額敏和卓郡王はなくなりました。彼の息子である蘇来曼がその工事を続け、乾隆43年(西暦1778年)に工事を完成させることになりました。


   こうして230年余の歴史を持つ蘇公塔は高さ44Mにも上り中国一のイスラム教関係の礼拝堂のミナレットとしてよく知られています。そればかりではなく中国現存されたもっともスケールの大きい尖塔としても注目されています。中国の「百の尖塔」の中で唯一のイスラム教関係の尖塔となることから、1985年に国の重要文化財に指定されることになりました。


   蘇公塔は基礎の部分が直径10Mあり、高さが44mに及んでいます。塔の形が下が太くて上が細い形をしています。すべてカーキ色の煉瓦で造った蘇公塔はまるで円錐のように見えます。そして塔の表面には三層の模様からなっています。具体的に三角の模様や四枚の花弁の模様、そして波の模様、菱の模様など合わせて15種類にも上る幾何の図案で描かれています。これらの図案がいずれも工芸的にも優れたものばかりでありイスラム教関係の息吹きに満ち溢れているから注目を集めています。塔の造形美として14の窓が造られています。塔の中に入ると下から上まで螺旋状になっている階段が敷かれており、合わせて72段の階段が数えることができます。これらの階段を登って行けば頂上まで行くこともできます。不思議なことにこの巨大な蘇公塔は木材を一切使わず、すべて煉瓦で組み合わせてあることです。それにしても230年以上の歴史を歩み続けることが出来ました。現在、相変わらず頑丈に出来ていて崩れた形跡がちっともありません。


   蘇公塔の入り口に二枚の石碑が安置されており、上にはそれぞれウイグル語と漢字で額敏和卓郡王が蘇公塔を造る背景や経緯などを記しています。隣接する礼拝堂がスケールが大きくて明るいです。祭日になると千人以上のムスリムの参拝客を収容することができます。ここには礼拝場としてのホール(本堂)やドーム型の天井、馬蹄形のアーチなどが工夫され、さらに無数の床の間や個室が両側に配置されていかにもイスラム教らしいムードが醸し出されています。これらの構造はいずれも土で固めたものであり、トルファン地元の乾燥した気候にもマッチしたことに大変人気が集まっています。


   清代のウイグル族出身の建築家として知られたイブラオン氏は自ら設計した蘇公塔は勤勉なウイグル族たちの知恵の表れでもあり、古代のウイグル族の素晴らしい建築技術の賜物でもあると言えます。蘇公塔を置いてはこのような建築様式の建物がないということです。