碑林

  唐末から五代のころにかけて建てられた。唐の天佑元年(紀元904年)に節度使韓建が長安城縮小工事の際、重要な碑石が散逸しないようにと「石台孝経」と「開成石経」を尚書省の西に移し、宋代にそれらを他の石碑と共に再び現在の碑林跡に戻した。その後、石碑の陳列と保護のための建物が建てられ、金と元の時代にもたびたび修築された。明の嘉靖34年(1555年)、関中大地震では碑林もおおきな被害を破るも、万歴年間の修理保全を経て現在に至る。院内の木の牌坊と石門は明代の建築で、その格子や門の上の石彫は明代の典型的風格を持っている。清の康煕年間に石碑の補修がなされ、乾隆年間に建物の大規模な改修が行われた。またその後、明、清の石碑を設置するために更に3棟を増築した。石刻室には中型、大型の昭陵六駿など国宝クラスの石碑ばかりが展示されており、碑林には漢、魏、隋、唐、宋、元、明、清各王朝の碑石、墓誌が約2300基出蔵されている。その優れた書で知られているものには、張旭と懐素の「千字文」があり、他にも李斯、欧陽詢、顔真卿、柳交権など名家の筆跡が千余年の時を超えて残されている。