桂林の山に味わい深い大文字を挑戦した王元仁
2013年06月03日中国文化
中国の書道の聖と呼ばれた王羲之の末裔とされた清の王元仁(別名が王静山とも呼ぶ)は道光13年(西暦1833年)、友達の推薦で当時の省都だった桂林に赴任してきました。王元仁は浙江省山陰(現在の紹興市)生まれの人で幼い頃から書道に励み、地元では割に書道家としての知名度が高かったです。彼は当時の「天下の大文字の第一人者」と自負していたということです。彼がまず桂林の隠山の朝陽洞に大文字の「龍」という文字を書きました。当時の桂林は町でよく火事が起こり、百姓の悩みとなるほどでした。彼が何とかして百姓のこの火事に対する悩みを解消しようとしました。なぜ「龍」という文字を書いたのでしょうか。
「龍」という文字は果たして火事への消し止めに役に立つのでしょうか。中国の陰陽五行説によると「龍」という動物が雨を降らすことができるとされ、火に克つと考えられました。作者は自らの書いた「龍」の大文字により桂林の火災を少しずつ消し止めることができればと念願したわけでした。
桂林の隠山の朝陽洞の入り口に書いた大文字の「龍」は幅1、5mで、高さ2mもあります。
翌年の1834年、王元仁は陽朔の知県になり、景色の美しい碧蓮峰に高さ6メートル、幅3メートルの大文字の「帯」を挑戦しました。この大文字は隠れ文字であり、含蓄がある作品と思われ、見た人により想像が異なります。「一帯山河、少年努力」などの複雑な意味の漢詩が隠れるほど想像が尽きません。この文字は陽朔観光の名物となっています。
見た人により「帯」という文字に16文字まで隠れていると言われます。なかなか味わい深くて面白いです。
最も面白くて意味深いものとされたのは1836年に彼が書いた「佛」という文字です。この文字は桂林の七星公園の「桂海碑林」に刻まれています。「仏」という文字は横も縦も53センチほど、遠く見れば一人のお婆さんがお香を両手に跪いて恭しく御釈迦さんに礼拝しているように見えます。お香の煙まで立ち昇っているようにも生き生きと揮毫されました。しかし近くに寄って見れば草書体の「佛」という文字だと分かります。落款に「道光丙申年丙申月丙申日丙申時」という難しいような文字が繰り返されました。調べると「丙申年」とは1836年のことを指していることが分かりました。そうすれば「道光丙申年丙申月丙申日丙申時」とは、旧暦1836年7月15日の「中元節」に当たり、即ち中国の「鬼節」であり、日本の「盆」に当たることになります。仏教では亡くなった人の霊が7月13日にこの世に戻り、14、15日は死者の霊が我が家にとどまり、そして15日の夜にはあの世に帰ってゆくとされます。中国では、むかしお寺で死者の霊を供養するために、時刻がこだわるほどご利益が大きいと考えていました。作者が「鬼節」の精霊祭に合わせて、おそらく60年に一回だけ回ってくる「丙申時」(午後の3時から五時までの時間帯)にこだわって書いた「佛」という文字はなんと味わい深いものでしょう。
この「佛」の字を見れば見るほど味わいが出て忘れられないですね。
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作者:( 「ふれあい中国」)
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