大足石刻

  重慶大足石刻(浮き彫りが多く洞窟が少ないため、石窟という言い方は適切ではありません)は649年に最初に切り開かれ、唐代末期、五代、宋代に次々と作られ、明清代(14~19世紀)まで、石刻の数は増加を続け、最終的には、5万台の巨大な規模になり、中国の石刻芸術の精華と末期の中国石窟芸術の代表として、中国通常の三大石窟「雲崗石窟」、「龍門石窟」、「莫高窟」と同じくらい有名です。大足石刻も芸術的価値や規模では中国三大石窟と比べても劣らないと言えます。 合計5万体の彫刻は28カ所に点在し、その大部分は主に宝頂山、北山、南山、石篆山、石門山5か所に集中しています。代表的な観光場所は「宝頂山」と「北山」の2カ所です。
 最も良い状態で保存されているのは、密教の道場として作られた宝頂山の石刻です。西暦1179-1252年の間に、約73年をかけて大足地出身の僧侶である趙智鳳の監督により、作られた石刻です。石刻は全部で1万5千台の仏像あり、中国宋代の石刻としてもっとも素晴らしいものです。他の中国3大石窟(敦煌、大同、洛陽)と比較し、主に5つの特徴があります。
1、仏教、儒教、道教の教えと思想を融合し、その教義の内容は豊富で多岐にわたる。
2、他の3大石刻は洞窟の中に仏像が彫られているのに対し、宝頂山石刻は浮き彫りの摩崖佛像を主としている。
3、宝頂山は、各石刻同士が教義内容でつながっており、重複した内容が殆どない。
4、宝頂山石刻は宋の時代の特徴を反映させており、仏像の服装等は、民衆の生活習慣を表しています。
5、石刻建築の際には、排水、採光などの問題を解決する為に科学的な工夫が施されています。

【北山石刻】
大足県から北へ約2kmの小高い山の斜面にあり、その範囲は500m以上。晩唐、五代(10世紀)、宋代(10~13世紀)の石刻が点在し、仏像数は合計1万台ほどあります。136号窟の象に乗った普賢菩薩像や155号窟の孔雀明王像、125号窟の数珠手観音(媚態観音)は芸術性が高く注目を集めています。宝頂山以外にも、必見の場所。四川省の仏教芸術の精粋がここに隠れています。

【南山石刻】
大足県町から南に約5キロ、約300体の道教の神様造像があり、宋代の1127年~1279年に造られました。道教の師匠達が彫刻師に頼んで造ったもので、規模も大きく、当時の道教の文化と発展を代表するものです。 

【石門山石刻】
大足県町から約29キロ、北宋時代1094年から南宋時代1151年までに造られました。道教と仏教の造像が混じり、石像は丸みを帯びてふくよかで、人物の表情が豊かで自然であることから、中国彫刻史上では独特なものとされます。 

【石篆山石刻】
大足県町から約25キロ、造像年代は1082年から1096年といわれています。高さ3メートルから8メートル、長さ130メートルの岩壁には儒教、仏教と道教の人物が彫刻され、中国石窟中の代表的な「儒、仏、道」三教造像群です。