張良廟
張良廟は廟台子街にあり、漢中留埧県から17km離れています。川陝道路はこの場所を通っており、重宝されてきました。張良は楚漢戦争時に劉邦の元にいた策士で、漢の時代の大臣であり「漢初三傑」の一人でもあります。劉邦は漢王朝に建て皇帝になったばかりの時、韓信など有能な大臣を殺め、張良は最も華やかな時期にいち早く紫経山に引退しており、後代からは「こざかしくて保身の術にたけていること」と言われていたそうです。言い伝えでは、最も早い張良廟は張良の第10代後の孫にあたる漢中王・張魯が建造しており、1700年以上の年月を経て元々の正確な位置が分からず、現在の張良廟は明と清の時代に建造されたものです。敷地の中には大きな庭園が6つ、部屋が150室以上あり、面積は14200㎡にも及びます。