白沙壁画
白沙壁画があることで有名な白沙は麗江古城から北に約 16km離れた素朴な民族村で、ナシ族が麗江に住み着いた最初の居住地でもあります。かつて麗江の土司木氏府の本拠地でもあり、ナシ族の最古の政治中心地として知られています。
土司木氏の最盛期である明朝時代では、最大の領地から潤沢な税収を得ることができました。木氏はその豊富な資金力で多数な宮殿や寺院を建造し、その内壁にナシ族、ペー族、チベット族、漢族など各民族の画家に宗教壁画を描かせました。数百年間という歳月をかけて作られた白沙壁画は、その線条と色彩によって民族や年代の特徴を見分ける事ができます。
白沙壁画は麗江古城とともに世界文化遺産に指定されており、トンパ文化の重要な財産でもあります。明朝時代に建造された流離殿、大宝積宮の敷地内に最も多く残されています。また、かつて白沙の学校だった場所にある文昌堂は木氏の歴史や文化を紹介する博物館として開放されています。
流離殿壁画と大宝積宮壁画
流離殿は明の時代永楽15年(1417年)に建てられたもので、流離殿の壁画は『薬師経』という仏教物語の内容が描かれており、麗江壁画の中で最古の壁画で剥き落ちが多く、そのきらびやかな図案は雲南省博物館に所蔵されている模写図から見て取ることができます。
大宝積宮は明の時代万歴10年(1582年)に創建された寺院で、その内壁には12幅の壁画が描かれ、麗江で最も大規模で保存状態がよい壁画群になっています。特に『如来会仏図』は麗江壁画の中でも特に優れており国宝級の壁画とされています。
『如来会仏図』は縦3.68m、横4.98m、大宝積宮の西壁に描かれています。壁画は金泥で描かれた釈迦如来を中心に、上部には十八尊者、中間には道教の道士を左右対称に配し、下部の中央にはラマ教の三大護法神、外側は四大天王を配列し、合わせて167の像が描かれ、仏教、道教、ラマ教など各民族が信仰する神々が一枚の壁画にまとめられています。このように白沙壁画に展開されている多宗教混合文化の特徴が『如来会仏図』に表れています。
多宗教混合文化の白沙壁画
白沙はもともと明王朝、四川、チベットに通じる貿易の拠点として発展してきた土地で、ナシ族、ペー族、チベット族、漢族など数多くの民族が白沙に集まり多民族文化が共存してきました。白沙壁画には仏教、道教、ラマ教、トンパ教を題材とした宗教画が多く、一つの宗教だけにこだわらず、多宗教を混合させて描かれています。また、白沙壁画はただの宗教画としてだけではなく、植物、動物、森林など人々の身近にある対象もモチーフとして描かれ、各民族の画家が鋭い観察眼で生活の瞬間をとらえ自分の人生観を表現した作品も多いとされています。