柳州の文化
柳州市は漢の武帝が紀元前111年に柳州に城を築き、2100年の歴史を持つ都市で、別名「龍城」と呼ばれます。柳州は濃厚な郷土文化と民族文化の雰囲気を持っています。漢族、チワン族、ヤオ族など民族が多く居住する都市で、数千年の間に漢民族と嶺南の各民族の経済と文化交流、融合点で、伝統文化が濃厚です。多民族が住んでいる地区で、各民族の習わしは互いに影響し合い、多彩な民俗文化を形成しました。チワン族の歌、ヤオ族の踊り、ミャオ族の祭り、トン族の鼓楼は、少数民族の多彩な文化生活を示しています。
柳州から出土した「柳江人」化石は6万年前にここで人間の活動があったことを証明し、北京の「山頂洞人」よりも早いのです。中国から東アジアにかけてこれまでに発見された最初の初期ホモ・サピエンス化石または後期ホモ・サピエンス化石です。約2キロ離れた白蓮洞遺跡は、石器時代末期から新石器中期に至る史前37000年から7000年の間に発見された新石器時代中期から新石器時代中期に至る前遺跡です。両者の結合は華南地区の先史文化研究に大きな促進作用を果たしています。先史文化の長い過程は柳州という土地の上で絶えなく続き、柳州文化の起源を定め、ここで暮らす少数民族に影響を与えていました。
大文学者「唐宋八大家」の一人柳宗元が柳州に左遷され、柳州刺史としてここに勤めました。4年間、柳州の立ち遅れた姿を変える決心をした彼が孔廟を再建し、教育と民事を推進し、奴隷を解放し、道を修築し、柳州の人達に信頼を得られました。柳柳州、柳侯と称されました。柳宗元が死去、人々は彼とその功績と詩を記念するために、羅池廟を修築し、今の柳公祠です。