張掖の歴史
張掖市は甘粛省河西回廊の中部に位置し、西域への通路、古代シルクロードの重要な都市です。「甘州」という古称は甘肅省の名「甘」の字に由来し、「桑麻の地」、「魚米の郷」と呼ばれています。水と土がよく、産物も豊富なため「金の張掖」と称されます。
前漢の初期、中原地区は匈奴の侵入を頻繁に受け、和親政策が無効になると、漢の武帝は匈奴に対して反撃を行いました。有名な将軍霍去病が匈奴を撃ち破った後、漢の武帝は河西回廊中部地区に「匈奴の右腕を断じ、西域を通させ」の意味をとって、張掖と命名しました。その後、匈奴は再度この地に足を踏み入れることはなくなりました。武帝により郡を設置され、シルクロード上の要衝となった張掖は西域各国との交易が活発でした。唐の時代以降、張掖は仏経伝来の道として仏教が盛んになりました。遺跡は全域に散在しています。現在、文化財は816か所あり、そのうち国家重要文化財は張掖大仏寺、黒水国遺跡、粛南馬蹄寺、文殊寺、高台駱駝城、木塔寺、土塔寺、西来寺、許三湾、民楽円通塔などあります。