武侯祠
武候祠は成都市南門の武候祠大街に位置し、三国時代縁の観光スポットであるだけでなく中国唯一とも言える二人の君臣がともに祭られる祠堂としても有名です。蜀の宰相であった諸葛孔明の死後、忠武候の諡号を得たことから武候祠の名で親しまれています。敷地面積は約15万㎡と広大で、紀元223年に三国時代の蜀王であった劉備の墓を建造したのを皮切りに、側には諸葛孔明を祭る祠を増築した君臣合祀の祠堂となっています。現存する建物の大半が1672年、清代の康熙年に建て直され、1961年、中国の重要文化財に指定され、1984年には博物館が造られ、2008年に中国一の一級博物館と評価を受けています。このため武候祠は「三国聖地」と称されることもあります。武候祠は文物区(三国歴史遺跡)、園林区(三国文化体験区)、錦里民俗区の三つの区域に分かれ、成都市のもっとも重要な観光地として、毎年何百万人にのぼる観光客を受け入れています。ここは三国文化を知る上でも重要な文化遺産として国内外で知られるようになりました。
武候祠は5重4院(扉が5重に重なり、庭が4つある)という構図で設計され、南北を走る中間線に従いきっちりと配列して並び、前から順に表玄関、二門、劉備殿、諸葛明殿などが配置されています。西側には劉備の墓があり、歴史上では「恵陵」と呼ばれています。また、東西に連なる長い回廊には諸葛孔明の自著『出師表』の一部を武将の岳飛が刻んだとされる木刻や祠の中には三国時代に蜀に仕えた君臣47人の彫像と40の石碑が納められ、中でも最も有名なのが唐の時代に造られた「三絶碑」です。「三絶碑」の正式名は「蜀丞相諸葛武候祠堂碑」といい、唐代の元和4年(紀元809年)に宰相の裴度の撰文、柳公綽(唐の著名書道家の柳公権の実弟)の執筆、著名な石屋の魯建の彫刻により造られており、かねてより重要な文献としての価値があると言われ、「三絶碑」と呼ばれるようになりました。劉備の墓は武候祠本殿の西側にあり、高さ12m、周囲80mを煉瓦で囲まれた古墳となっており、『三国志』によると、劉備の甘、呉両婦人も埋葬されたそうです。墓の前には清の乾隆皇帝の肉筆で書かれた「漢昭烈皇帝之陵」という看板が掛かり、神殿や照壁なども綺麗に整備されています。劉備廟は武候祠内で最も高く厳かな雰囲気で包まれた建物で、中心には金色の劉備の彫刻像、両側にそれぞれ関羽、張飛の彫刻像が安置されています。また周りの回廊には蜀に仕えた28人の文官、武官の坐像が生き生きと並んでいます。劉備廟の裏には諸葛孔明を祭る入母屋造りの静遠堂があり、立派な四合院建築で臣下の礼を重んじ劉備殿よりも少し低い位置で建てられています。中には諸葛孔明及び子孫三人の彫刻像が安置され、真ん中に座している諸葛孔明は羽毛の扇子を手に柔らかく穏やかな表情を見せています。