大理古城

大理古城は大理市街から約14kmの場所に位置し、現在人口の約7割が白族(ペー族)で占められています。明代の洪武15年(1382年)に建造され、シルクロード南の要所として栄えました。当時、高さ6m、幅12mの城壁が周囲約6kmにわたり展開されていました。城壁の表面には煉瓦を積み上げ、内側は砂や砕石で固められ、非常に頑丈に建てられています。かつての立派な城門と南、西、北2箇所にあった城門は、今も城壁の一部と南と北二つの城門が残っています。
南城楼

南の城門には大理石に「大理」と刻まれた南城楼があります。この文字は1982年の修繕時に郭沫若の書から作られました。上に雄大な櫓が建てられ、大理古城を一望することができます。南城楼から北を望むと、左には青々とした洱海が広がり、右には4000mを超える蒼山の峰が連なっています。そして、蒼山から流れる透き通る雪解け水は古城の水路を通り、洱海に流れ注ぎます。
建物

城内に入ると南北に5本、東西に8本の道が走り、黒い石畳みで舗装されています。ペー族の伝統的な民家がその碁盤の目のように敷かれた道路の両側に立ち並び、灰色の瓦、白い壁、軒下の壁にはペー族独特の文様が緑で描かれています。また、1800年代後半に建てられた中国雲南提督・楊玉科の屋敷や石碑など歴史的な文物も数多く存在し、歴史探索の名所としても知られています。
西洋街
南門から北門へとまっすぐ続く「復興路」は大理古城のメインストリートで、5mの道幅の両側には大理石や縛り染め物、草編みの小物など様々なお土産屋とペー族独特のレストランが立ち並んでいます。古城の中心の博愛路と交差する「護国路」は全長1000mの道路が東西を貫き、レストラン、カフェ、工芸店などが集まり、店の看板がほとんど英語で書かれ、多くの外国人旅行者で賑わう西洋街となっています。
高原の光を全身に浴びて、蒼山からの風に吹かれながらコーヒーをいただく、この地のそんな穏やかな生活は大理古城の風光や街並が生み出しているのでしょう。さらに、大理古城の人々は花草を愛で、どの家庭でも四季折々の草花を育てています。毎年旧暦の2月14日の朝花祭になると、民家の前に色とりどり花々が並べられ、大理古城全体が花の海となります。