203高地/二〇三高地

 1904年(明治37年)、日露戦争が始まると、ロシア軍の基地があった旅順に日本軍が攻め込んだ。乃木希典将軍率いる日本陸軍大三軍は、同年8月に第一回総攻撃をしかけたが失敗し、1万5000人もの死傷者を出すほどの多大な被害を受けた。2度目の総攻撃も失敗したが、それでも11月26日に3度目の総攻撃を開始し、乃木将軍の息子が戦死するなどしたが、12月5日にようやく203高地の奪取に成功した。戦後乃木将軍は砲弾の破片などを集めて山頂に爾霊山と記し、戦死者を弔った。
 爾霊山は現存し、203高地の観光名所になっている。山頂からは旅順港が見渡せる。