多彩の大連

   大連地域では人類の活動は少なくとも17000年の歴史があり、6000年前に大連地区が開発されました。1897年、ロシア人の租借地となり、モスクワとサンクトペテルブルクから離れたところから、「ダリーニ」という名をつけ、「遠い都市」という意味です。1905年、日露戦争により日本が「ダリーニ」を占領し、「ダリーニ」を音訳して「大連」としました。1949年4月1日、大連と旅順は合併して旅大市となり、1981年2月に大連市と改称されました。現在、大連は中国北方の重要な港湾、工業、貿易、観光都市となっています。「東北の窓」、「北方明珠」、「ロマンの都」の異名を持つ大連は、冬には寒さがなく、夏には暑さもありません。中国東北部の対外開放の窓口で、最大の港湾都市です。国際花園都市、中国最高の観光都市、環境保護模範都市などの栄誉を相次いで獲得しました。


   大連は山や海に囲まれ、景色が麗しいので、中国の有名な避暑地と観光スポットの都市で、半世紀の中国近代史天然博物館の人文歴史の観光資源だけではなく、風景のすばらしい自然の観光資源もあります。大連は太平洋に面し、臨海部には多くの湾があり、「青の空、白の砂、紺碧の海、黒の礁」を特色とした海浜風景が多く構成されています。美しい海岸の風景だけでなく、市街地にも素晴らしい風景があります。


   100年前、フランス文化を愛するロシアのエンジニアたちがパリの都市建設図面を持って、この極東の土地の上に「東方のパリ」を作り出そうとしました。広場を中心に街が四方に広がる大連の特色の一つとなっています。あまり大きくない地区で四方に放射の道がある限り、広場にしました。そのため、大連には80余りの広場があります。広場の文化も同様に多彩で、緑地、白鳩、彫刻、噴水はもちろん、女性の騎馬警官とワルツパフォーマンスがあります。


   大連は有名な「服装城」で、大連の国際服装祭りはカーニバルのような賑やかさです。俗に「食べることは広州で、遊ぶことは上海で、着ることは大連で」といいます。毎年9月上旬に開催される大連国際服装祭りは、経済、貿易、文化、観光を一つに集めた国際的な経済文化の大会で、現在中国で規模は最大で、等級は最高で、影響面は最も広く、利益は最も良い国際服装祭りの一つです。大連服装祭りは洛陽牡丹花会、ハルビン氷燈祭、濰坊凧祭りと共に中国四大名会と称されています。


   大連は沿海開放都市であり、また古い工業基地都市でもあり、東北部の対外開放リードと古い工業基地の全面的な振興を率先して実現するという二重の任務を背負っています。中国最初の万トン級汽船、最初の通常型弾道ミサイル潜水艦、ミサイル駆逐艦・輸出船、三十万トン級の超大型タンカーが次々と建造されるまで、大連は中国の造船発展史上六十以上の「第一」を創造しました。ここは工業が発達しているだけではなく、または中国の重要な果物や水産物の生産基地でもあります。「りんごの郷」「水産基地」などの称賛があり、品質の良いりんご、桃などの果物とアワビ、ナマコなどの珍品は海外に輸出されています。