茶馬古道

   茶馬古道(ちゃばこどう)とは雲南省で取れた茶(磚茶)をチベットの馬と交換したことから名付けられたのです。7世紀の唐や吐蕃の時代にはすでに交易が始められ、20世紀中ごろが流通の絶頂期と言われています。雲南省南部からチベット 、ミャンマー 、ネパール 、インドなどへ抜ける幾つかのコースがあります。四川省を起点とするコースも含められます。中国の南西部からチベットにかけて、3,000キロ以上に渡ってつづいています。


   茶馬古道は中国西南地区にある荷馬隊を主な乗り物としての民間国際貿易通路であり、中国西南地区各民族の経済と文化交流の回廊と称されています。茶馬古道は特殊な地域の名称であり、最も壮観の自然風光と奥深く神秘的な文化を持ち、無尽蔵な文化遺産を潜むルートと言われています。


   茶馬古道風景区は普?県那柯里村にあり、域内に山々に人工で磨いた石板で敷き詰めた大通りがあります。石板に残されてある深さ2センチの馬の蹄の跡は道の長い歴史を語ってくれます。


   茶馬古道はティーロードとも呼ばれています。茶馬古道は雲南―チベット、陝西―甘粛と四川-チベット三つルートに分けており、四川省、雲南省、チベット地区を繋ぎ,不丹、錫金、ネパール、インドまでに延び,ひいて西亜、西アフリカの紅海までに至ります。


   雲南―チベット茶馬古道は6世紀末期に形成され、雲南省の茶生産地である思茅、普?をスタートとし、大理、麗江、シャングリラを経ってチベットに入り、ラサまでに至ります。チベットからインドやネパールに中継したこともあり、古代中国と南アジア地区との貿易の重要な通路です。普?は茶馬古道にある優位を持つ貨物産地と中継所であり、悠久な歴史を持っています。


   主な交易品は雲南地域より塩、茶、銀製品、食料品、布製品、日用品など。チベット地域より毛織物、薬草、毛皮など。チベットを経由してインド・ネパールで生産されたの物資も雲南に届いたと言うことです。茶馬古道の要衝といわれる有名な都市にラサ、徳欽、迪慶、麗江、大理、思茅などがあります。


   昔の雲南―チベット茶馬古道のコースが三つあり、一つ目のコースは内江鶴麗鎮迅地塔城をスタートとし、崩子欄、阿得酋、天柱寨、毛法公などを通ってチベットに至るのです。もう一つコースは剣川協迅地維西を起点とし、阿得酋を通って一つ目のコースと合流してチベットに至ります。三つ目のコースは中甸をスタートとし、尼色落、賢島、崩子欄、奴連奪、阿布拉喀などを通ってチベットに至ります。雲南―チベット茶馬古道の主なルートは今の雲南―チベット線と同じくらいです。


   陝西―甘粛茶馬古道は明代の陝西商人が北西部辺境で茶を馬と交換したことから出来た貿易通路です。その時の主要な乗り物は駱駝です。駱駝は馬を取り替えた故は、明代に四川から北西部まで数百万斤(1斤は0.5キロにあたり)のお茶を運輸することが必要だった、清代に至ると数千トンにも達しており、馬はそんな大量の貨物を背負うことができなかったのです。明、清時代に政府はお茶の販売することに管制しており、お茶を販売する地域が厳しく規定されたのです。陝西―甘粛茶馬古道は当時の唯一の地域を跨ってお茶を販売することができるところです。


   四川ーチベット茶馬古道は唐代に形成されました。東の雅安をスタートとし、箭炉(今の康定)を通り、西のチベットに至り、不丹、ネパール、インドまでに伸びていきます。総延長は4000余キロにわたり、もう1300年くらいの歴史があります古代のチベットと大陸部との交流の掛け橋となっており、。悠久たる歴史と奥深い文化を持っています。


   茶馬古道は、中国の正史には登場しない少数民族たちの歴史が刻まれた道であり、世界の探検家たちが足跡を残した道でもあります。


   現在の茶馬古道は、観光の道とも呼ばれています。茶馬古道沿いには、「中国南方カルスト」・「麗江古城」・「三江併流」・「ポタラ宮」という4つの世界遺産があり、香格里拉(シャングリラ)や大理、ラサなど有名な町も多いです。国内外の観光客を引き寄せています。