広元観光スポット

広元の観光スポットについては、次の紹介をご覧ください。人気の観光スポットやカテゴリー別観光スポットで広元の魅力を存分にお届けいたします。

広元の人気スポット

宗教・信仰・寺

皇澤寺

皇澤寺は、中国の長い歴史上女性で唯一皇帝の座についた武則天を祭るために建てられたお寺で、嘉陵江の西岸にあり川を挟んで広元城と向かい合っています。唐の開元年号から建造を始め、元々は都江堰水力工事を主導した李氷を記念するために建てられ、当時は「烏奴寺」といわれていました。武則天がこの地で生まれ、後周政権を打ち立てた後に皇澤寺と改名されました。次に皇澤寺の主な宮殿と見所をご紹介します。 「二聖殿」 玄関に入ると見えてきて、殿の真ん中には唐の高宗と武則天の塑像が祭ってあり、「二聖」と言われます。また、左右には当時の有名な大臣9人の塑像が並んでいます。 「則天殿」 唐の時代から建造が始ま...

記念碑・像

剣門関

「天下の雄関」と讃えられる剣門関は剣門蜀道景勝地の重点観光区として1982年に国家級観光地、1992年に国家級森林公園に認定されました。「剣門関を得れば、四川を得る」といわれるほど剣門関は蜀に向かうための要害の地として、2000年以上の歴史の中で100回を超える戦いで戦地として常に争われてきた要所です。かつて戦国時代の秦恵王は蜀を併呑するために蜀王に金牛と美人を褒美として届けるという嘘をつき、蜀王がこの道を開拓させたことから「金牛道」と名づけられました。また、三国時代には諸葛孔明が魏を征伐する途中でこの道をさらに修繕し、蜀滅亡の直前には名将?姜維がこの剣門関を死守したことでも有名です。さらに、...

古鎮・古城

昭化古城

広元市郊外の昭化古城は旧名を葭萌関といい、張飛と馬超が夜を徹して戦った場所である。 魏・呉・蜀の三国鼎立が定まる前夜、確たる領土を持たなかった劉備が成都の太守劉璋(りゅうしょう)の求めをうけ、漢中の張魯(ちょうろ)の南下に対して援軍として出撃し、成都進出への足がかりを作った。当時、曹操に破れ、張魯のもとにいた馬超は劉備軍と戦い、張飛と馬超は決着がつかず馬超の勇姿を惜しんだ劉備の仲立ちもあり、その後馬超は劉備の下に身を寄せる。以後、張飛・馬超は蜀の五虎将軍(趙雲、関羽、張飛、馬超、黄忠)のひとりとなる。 昭化古城は揚子江の支流嘉陵江に注ぐさらに支流の清水河に沿い、四戦の地とも言われ、東西南北...

建造物

剣門関

「天下の雄関」と讃えられる剣門関は剣門蜀道景勝地の重点観光区として1982年に国家級観光地、1992年に国家級森林公園に認定されました。「剣門関を得れば、四川を得る」といわれるほど剣門関は蜀に向かうための要害の地として、2000年以上の歴史の中で100回を超える戦いで戦地として常に争われてきた要所です。かつて戦国時代の秦恵王は蜀を併呑するために蜀王に金牛と美人を褒美として届けるという嘘をつき、蜀王がこの道を開拓させたことから「金牛道」と名づけられました。また、三国時代には諸葛孔明が魏を征伐する途中でこの道をさらに修繕し、蜀滅亡の直前には名将?姜維がこの剣門関を死守したことでも有名です。さらに、...