逍遥楼
逍遥楼は唐の時代に築き始めた楼閣で、中国では歴史上に有名な黄鶴楼、藤王閣、岳陽楼と名を並べていて桂林城の名刺となっています。史料によって、唐の武徳四年(621年)から桂林の独秀峰と言う山の麓近く、漓江の西側にある城壁の上に消遥楼を築いたそうです。その後、1千年の間何回も立て直しました。逍遥楼を題字したのは中国で最も有名な書道大先生の顔真卿で、肉筆でその名を石碑に刻して、現在までも桂林の七星公園の普陀山に置いており大事にされています。
また、歴史的な有名人、詩人墨客が桂林まで尋ねに来た時、よく逍遥楼を登っていって、高い展望台から桂林八つ名所の「訾洲煙雨」、「東渡春瀾」、「堯山冬雪」などの感慨無量の素晴らしい眺めを目の下に収めていました。
しかし、第二次世界大戦の頃、空襲で逍遥楼が壊されて結局壊滅となってしまいました。
2014年、桂林市人民政府が予算を作って、唐、宋の時代の逍遥楼のような様式を基にして立て直す工事を始めました。楼閣の高さが23.6メートルで、一階の面積が630平方メートルになっています。2016年6月に修復工事が終わって完工式を無事に行いました。その直後、無料で観光客と一般市民に開放されています。
楼閣内に桂林と関係のある歴史資料、写真、石碑の拓本、書画軸などが展示されていて、こちらで桂林の歴史と特有な文化を偲ぶことができるのです。
逍遥楼から漓江を見下ろすことができます
その楼閣の二階へ登っていくと、くねくねと流れている漓江の水が緑の帯のように見えて、遠く並んでいる山々も水墨画のように見えます。さすがにそれは中国の唐の時代の有名な大詩人韓愈先生が書いたように、「川は緑の帯になして、山は碧玉の簪の如し」と言う眺めです。