陽朔碧蓮峰

陽朔碧蓮峰は陽朔県東南の漓江に臨み、山全体が一年中青々とした植物で覆われ、遠くから見ると山の形がまさに開花しようとする蓮の花の蕾に見えることから碧蓮峰と呼ばれています。また山が芙蓉の花のように見えることから芙蓉山とも呼ばれています。山の高さは186m、碧蓮峰は陽朔県を囲む山々の中で代表的な存在であるため、古くからこの山の美観を巡る著名人も多く、陽朔周辺で最も由緒のある山と評価されています。唐の時代には山の麓に鑑山寺を建立され、その後戦火に焼かれて以降は鑑山楼として建て直されました。

碧蓮峰は千年を越す名山で、現在までに歴代著名人の多くの書が残されています。明の時代に布政使を務めた洪珠が書いた「碧蓮峰」という大きな三文字が漓江に臨む山の麓に刻まれています。また清の時代に陽朔県の知県を務めた王静山の書いた筆跡の鋭い「帯」文字は高さ5.73m、幅2.91mあり、陽朔で今まで見つかった遺跡の中で最も壮大なスケールの書とされています。この「帯」は一文字であるにもかかわらず、含蓄の美が隠れ文字の中にあり、「一帯山河、少年努力」という八文字が含まれて、「一帯山河,挙世無双,少年努力,万古流芳」という意味が込められていると考えられます。この「帯」という書が碧蓮峰の代名詞となり、碧蓮峰全体の知名度を高めることにもつながりました。そして、中華民国時代の有名な学者であった呉邁が碧蓮峰の岩肌に「桂林山水甲天下」という漢詩を刻み、桂林の山水風景を象徴する言葉として広く知られるようになりました。

碧蓮峰でご来光を楽しめるためにいつの時代かは不明ですが、「迎江閣」という東屋が建てられました。この迎江閣は八本の柱で支えた寄棟造りの二階建ての建物で、二階を支えている八本の柱で仕切られた八枚の窓にそれぞれ陽朔を代表する八景が刻まれ、「画窓」と呼ばれています。迎江閣から周囲の景観を眺めると青く澄んだ漓江の流れと遠くに聳え立つ龍頭山などが楽しませてくれます。特に夜になると漓江下流を彩る漁火が一面に広がり、それが陽朔県の一大名物に定着したことから「白沙の漁火」と呼ばれています。

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